日曜美術館「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平〜」

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この番組のまとめ

火山の噴火口から底をのぞいた時に明治26年 宮 芳平は新潟の呉服商の家に生まれました。 1年間 浪人をして東京美術学校に入学しました。 森 外研究の第一人者山崎一穎さん。 外は 知り合いの文化人の名刺を渡して 積極的に会う事を勧めこのころ宮は 「友人たちが 自分の絵を奇態だと言って笑う」と君は うそ偽りないこの気持ちを積み重ねていけば「椿」でやりきったかげの世界とは…バックは近いような色彩ですけどもでも 受ける印象はもう全く違いますね。

先ほどの点描の「椿」アクティブですよね。 いろんな画家が試みるんですがそれを宮さんという人が自分なりに変容させて自分の様式としてこれ 描いてるんですね。 なので 宮さんならではの点描表現なんだけれどもあまりにも こんが… 「こん」は「魂」という意味もありますが魂 込めすぎ…。 僕は 青年ならではの特に 大正期の青年の個性を前面に出そうとする気持ちがそのまま絵になったような絵だと思いますね。

もう 信州に行ってからの彼の絵というのはそういう点描主義とか 何とか主義という理論じゃなくてね見たまま 一つ一つの花なら花花びらから描いていって最終的に こういうふうな絵が出来てるわけですよね。 その 大きな要因となったのが自然というものとあと もう一つ 教え子たちである子供たちがいると思うんですが拙いという事は決して消極的な事ではなくてむしろ 童心に返るという言葉があると思うんだけれども子供の頃 生まれたままの資質というものを「養う」 「拙い」って書いて…。