ミュージック・ポートレイト「滝川クリステル×アンジェラ・アキ 第1夜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

フランス語を勉強していた母親と日本語を勉強していた父親が結ばれたのです。 母親は どっちかと言うと日本人なのに フランス人っぽくて父親は フランス人なのに日本人っぽい訳。 お米と卵焼きがあっても父親は フランスパンとチーズと。 外国人が たくさん住んでいた港町 神戸で小学生になったクリステル。 アンジェラ・アキは クリステルと同じ1977年父親が 高校生の時留学先のオハイオ州でアメリカ人の母親と出会いました。 父親が ふるさと 徳島に英会話教室を開く時講師として母親を招きます。

ハーフっていう自分のアイデンティティーよりも「あっ あの子は ピアノが上手な人だ」っていう。 ピアノの私っていうアイデンティティーがハーフよりも前に歩いてくるようになったからピアノっていうのは私にとって 武器なんだって思い始めた時期だったから。 疎外感にさいなまれたアンジェラを救ってくれたのはピアノで音楽を奏でる事でした。

とにかくルールがない訳よフランス。 でも 何かフランスはそこが自己責任。 今の私は 多分この時期がなかったらこの時期 フランスに住んでなかったら多分 フランス語は…。 で また フランスの曲が私の心の拠り所になるというか。 当時 フランス人の 何かこう…。 日本の枠に収まりきらない自分に気付いたクリステル。 将来は 大好きなフランスで働きたいと思っていました。 しかし 両親から 日本で就職してほしいと言われ断念。 日本語で何て言うんだっけ?アイデンティティー・クライシスって。

アンジェラは 15歳で母と妹と ハワイで暮らし始めます。 娘には アメリカの大学教育を受けさせたいという母の希望で何番の教室っていうのをガチャッて入っていった時にこれから高校1年生になるっていう私が小学校4年生にあがる小学生のクラスに入れられた訳。 で もう…9歳の子から 毎日 シールつきの手紙「アンジェラへ」みたいな。 周りを気にせず人生を楽しみ始めたアンジェラ。 Green Dayのパンクサウンドが痛快に胸に響きます。 そんなアンジェラが留学先のワシントンD.C.で見たあるコンサート。

10時間働いても 2,000円ってひどくない?だけど 音楽的には時間ができるようになったから何か 自分の中では 一歩ずつ近づいているっていう気持ちがあったんだけど。 アナウンサーの入社試験受けた時に「何でここに君いるの?」って。 フジテレビ系の制作会社 共同テレビの契約アナウンサーでした。 そうすると 朝 PHSが鳴って今日は沖縄 今日は岡山今日は北海道。 日本人らしからぬ日本人のお母さんが「石の上にも3年」そういうことわざを出してきて。 全然日本人っぽくないんだけど。