小劇場ブームの立て役者で常に 日本の演劇界をけん引してきた演出家。 しかし モデルからトップアイドルになった10代の頃はりえは 渦中の人となり日本を離れる決意をします。 演劇の現場で マルチに活躍する野田秀樹 58歳。 1980年代 時代の寵児と呼ばれずっと 演劇界の最前線で戦ってきた野田。 疾走感あふれる舞台は高く評価され小劇場ブームの立て役者となります。 父親はオランダ人 母親は日本人のハーフでした。 テレビで「トップテン」とか 歌番組をいとこと見ている時の一番の記憶で。
山口小夜子さんという人のしゃべらなくても表現するっていう。 お化粧してもらって山口小夜子さんの映像に憧れた世界に自分がいれる高揚感というのは子どもながらにも あったし。 最後に 食べたという事に自分が気が付いて罪を背負ってる時に流れてくる曲で一番最後に使った。 パリコレのランウェーを歩くというのが一番の最終目標だったので。
高校時代芝居に没頭していた野田は野田の才能はすぐに評判となりました。 学生演劇のカリスマ 野田秀樹。 高い身体能力を生かした…あらゆる面で独創的な遊眠社の舞台は若者を中心に…評判は 海外にまで届き32歳の時 イギリス・エディンバラの国際芸術祭に招待されます。 シーンに使ったというのは電信柱に耳を当てて物語が聞こえてくるっていうそのあと 帰ってきてからもこれを聴くと何と言うかな エディンバラの城のとにかく すてきな…。
ジムでのトレーニング中に 突然右目が見えなくなったのです。 網膜に血液を送る動脈が血栓で詰まり細胞が死んでしまう…野田の右目は一生 光を失う事になったのです。 それに加え 野田は このころ仕事上でも大きな葛藤を抱えていました。 夢の遊眠社の団員と芝居への姿勢にギャップが生まれていたのです。 野田は 結成当時と同じ思い。 しかし 団員たちは 将来を考え野田の演劇人生は 大きな岐路を迎えようとしていました。 一方 りえは 18歳の時世間を あっと言わせる写真集を発表します。