爾来70年遅きに失した事でありますがここに宗派として 竹中彰元師に対する当時の処分を取り消します。
東本願寺を本山とする真宗大谷派は 親鸞聖人を宗祖とし以来 彰元の名は長く忘れ去られていました。 戦前に宗派 あるいは国の戦争責任を告発するような戦中 戦前世代の批判をするとかあるいは逆に竹中彰元のような方を持ち上げるとか そういう事ではなくてまさに自分たちの問題として どう取り組んでいくか という事を忘れないようにしたいなと思っています。 その後 真宗大谷派の大学や私立の学校で学び宗教界は開戦とともに すばやく戦争協力体制に入っていきました。 真宗大谷派の戦争協力の歴史を研究してきました。
ただ挙国一致「戦争は最もよい導きである」国の方針に追随していく真宗大谷派。 実は真宗は 仏教上から申せば…これが最も誇りであり かつまたこのように信じているから実は この年の初め真宗大谷派大谷光暢法主はまた 祈願や祈祷はしないのが原則でした。 私方の 同行総代をしている人の息子で児玉憲二という者が出征する事になっておりましたので村からは既に 90人の若者が戦場へと送られていました。 彰元は 自らの中で膨らんでいった戦争への疑問を取調室で 率直に語っています。
日中戦争開始以来2年間で 700人以上がそいでしまうような事についての警戒心というか…。 私も子供の頃にそんな事を考えて…戦争の時代 村を揺るがした竹中彰元の言葉は長く 語られる事はありませんでした。 日本の兵隊さんだけを念頭においた 追弔会でしたがこの際 戦争の犠牲になったあらゆる人々外国の人も すべて加えて全戦没者…。 しかし 竹中彰元については名誉回復がなされないままお相手をしてほしい」というようなそんな申し出のつもりでした。 初めて竹中彰元に光を当てたこの論文が僧侶たちを動かしていきます。