ご存じのとおり 和歌の六歌仙大友黒主 文屋康秀在原業平 僧正遍昭喜撰法師。 その古の和歌の六歌仙になぞらえて「天保六歌撰」という名前を付けたんでしょうね。 一番の大立者というのは何と言っても 河内山宗俊でところがこの河内山宗俊という人はあんまり 仕事は熱心な人じゃございませんから同輩の連中に 小遣いを与えて代わりを務めてもらうと自分は 何をするかってぇと博打場なんぞへ出入りする。 紅一点といいますのが新吉原江戸町二丁目 大口楼でお職を張っておりました花魁で 三千歳。
方々でもって上総屋の評判を聞いてみると1つも いい評判というものがございませんでした。 「よし それでは 孫十やお前が 新しく店を作るくらいの元手を私がこれから 上総屋に行って持ってきてやるから安心をしな」。 この卵を持って 私がこれから 上総屋に乗り込む。 これから 河内山がやって参りましたのが上総屋の店で。
「今 番頭が こっち 見てるな」って時に わざと 猿臂を伸ばして掌の上で コロコロ コロコロ転がして 遊んでいるんで番頭さんが 「お客様何やってるんだろうな?あれ 落っこったら割れちゃうんだよ もったいない売り物にならなくなっちゃうんだけどどうするんだろう?」とこっちのほうを注意して見ている時に転がしていて 遊んでいた卵をこれ見よがしに自分の袂の中に入れたから番頭さんが びっくりして。 「『お恐れながら』と訴えて出ると言ったのは河内山宗俊は私だよ」。