日本の話芸 講談「天保六歌撰 河内山宗俊 卵のゆすり」

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この番組のまとめ

まぁ この伯円先生の一番有名な読み物というとで この お徳という人から河内山宗俊の いろんな行状を全て 聞いて記録をしていたんだそうです。 で これが 後になって「天保六歌撰」という大友黒主 文屋康秀在原業平 僧正遍昭喜撰法師。 一番の大立者というのは何と言っても 河内山宗俊でところがこの河内山宗俊という人はあんまり 仕事は熱心な人じゃございませんから本郷の大根畑に 元はお屋敷を頂戴しておりました大きな回船問屋を営んでおりまして大勢の奉公人を使って大層な羽振り。

生きて かい無き者でございますんで助けて頂いても別に ありがたいとは思わないんでございますが私は 上野の山下上総屋利兵衛の奉公人でございます」。 12の時に 江戸へ出て参りまして上総屋に奉公したんでございます。 丁稚奉公から始まりまして上総屋に奉公して2年ぐらい経った時に悪い流行病があって 国元で家族や親戚が全部 死んでしまったんです。 河内山が 若い衆を使って方々でもって上総屋の評判を聞いてみると私がこれから 上総屋に行って持ってきてやるから安心をしな」。

で この時に 河内山が「番頭が こっち 見てないな」という事を確かめた上で錬塀小路の自分の屋敷 出る時に掌の上で コロコロ コロコロ転がして 遊んでいるんで番頭さんが 「お客様何やってるんだろうな?あれ 落っこったら割れちゃうんだよ もったいない売り物にならなくなっちゃうんだけどどうするんだろう?」とこっちのほうを注意して見ている時に転がしていて 遊んでいた卵をこれ見よがしに自分の袂の中に入れたから番頭さんが びっくりして。