ニッポン戦後サブカルチャー史 第7回「80年代(2)“おいしい生活”って何?」

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この番組のまとめ

まさに 80年代伝説の演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を立ち上げた演劇界の奇才宮沢章夫。 ミュージシャンRIP SLYMEのRYO−Zも参戦!いよいよ 80年代も そろそろ終わりに近づいてきましたが今日は 広告の話。 「愉快なロンドン」。 「愉快なロンドン」 知らない?知らないです。 「ロンドン」って 何ですか?キャバレーでしたっけ?「楽しいロンドン 愉快なロンドンロンドン ロンドン」っていうねこういうコピーがあった。

「あなたは美人」とか…それは 分かんないけど「あなたの生活は豊か」「あなたは幸せ」というような情報が書かれてるんですよ。 広告は 商品に「イメージ」や「情報」を付加価値としてプラスした。 そんな中で コピーは人々のライフスタイル自体に訴えかけるメッセージとなってゆく。 コピーライターがものを言葉を チョイスする時ってその商品に対してとか企業に対してっていうのを人に アピールする事を考えて言葉を紡ぎ出すじゃないですか。

「昭和軽薄体」とは80年代前半に現れたくだけた しゃべり口調が特徴の独特な文体の事。 「昭和軽薄体」はそれまでの言葉というものを 一度解体するようなインパクトを持った。 神宮前交差点にあった セントラルアパート。 まあ 原宿のセントラルアパート行けば大体 一とおりの音楽家がいてそれから 林 真理子さんがよく いて。 セントラルアパートをはじめ 原宿には異業種のクリエイターたちがごく自然に交流する場所がパフォーマンスや アートイベントなどが行われた最先端の表現の場だった。

だって店 出そうとしたり「マンションメーカー」っていってマンションの一室で服を作ってそれで ブランド立ち上げてる人たちがその部屋を借りるのにその事に惹かれる場所であった。 80年代 宮沢章夫が 先鋭的な作品を発表する場に選んだのは♪~♪「ラジカル ガジベリ ビンバ ビンバ ビンバ システム」ラップじゃないですか。 これは 「TRA」っていう名前のカセットブックですね。 あっ これ オマケじゃなくてどちらかと言うとこれがあって 初めて成立するカセットブックっていうものなんだ。

このカセットブックって やっぱり出た時は 衝撃的だったんですか?だから 知らないっていうかメジャーなシーンに出てこない特に ピテカン近辺とかねそういう所にいた人たちを伊島 薫 写真家の伊島さんであるという事の大きさって大きな意味があったと思うんですよね。 今や 東京カルチャーの代名詞として世界的に知られる70年代初頭 ここは「区役所通り」と呼ばれ文字どおり 区役所と簡易旅館が数軒ある程度の通りにすぎなかったところが 70年代後半突如 変貌してゆく。

雑誌編集のノウハウのない彼らに編集を任せ1974年 タウン誌「ビックリハウス」が創刊される。 「ビックリハウス」が 当時の若者の支持を集めたのは なぜだったのか。 こちらは 「モダーンコレクション」というライブイベント。 レトロムード漂う 独特な世界観を歌う戸川 純 上野耕路らの ゲルニカや京都で結成された伝説のインディーズバンド EP−4そして 過激なパフォーマンスで話題を集めていたファンクバンドの暗黒大陸じゃがたらなど個性的で 新しい音楽を志向する若手ミュージシャンの活躍の場となった。