さあ今日は 民藝運動の中心メンバーとして活躍した染色家の芹沢介。 更に 最近 若い人の間でもこうした民藝が非常に人気で特に こうした芹沢の作品はトップを走るクリエーターたちも魅了しているという事なんですね。 これは芹沢先生の 多分戦後 間もない頃のノートなんですけど実際には 手帳とかにスケッチをしてその中で 自分が特に大事だとか後で作品にしたいなと思ったものを貼って集めたものなんですけどね。 昭和34年 鎌倉の海岸でスケッチをする芹沢の姿。
それが 最終的には 型紙を切るというところにまでいくんですがそうなった時に 今度はありとあらゆる立体的なもの身の回りにあるものが全部作品として 成り立つのではとサイズを変えてしまうという事はそのものが持ってるエッセンスの力みたいなものが失われてしまうという事だからそれを同じにしようと思った時点でもう 彼はビジョンが 全部 描ききれてると。 あとを消していくというか省略化してエッセンスだけを残していくみたいな魅力の固まりにしていくみたいな作業だと思うんですよね。
芹沢は 沖縄本島だけでなく久米島にも渡ってスケッチに明け暮れます。 そして 長年 研究していた沖縄伝統の染め物 「紅型」と東京に帰った芹沢はそれまでになく 精力的に制作に打ち込みます。 沖縄の紅型というものを見た時に解き放されたみたいな自由を得たみたいな感じを得たと本人 先ほども言ってましたがそういう感じがしますよね。