その司馬太郎さんが江戸時代一番偉いのはこの人だっていうふうにほれ込んだ人がいるんですね。 嘉兵衛の知恵を読み解くのは経済界に その名をとどろかせる…1960年代初め商社マンだった宮内さんは企業にとっては 初期投資が減る最新の機器を そろえやすいなどのメリットがありました。 その後 バブル崩壊などを経ながら宮内さんは リース業を起点に金融 不動産 自然エネルギーそして 球団経営まで新しい事業を次々と開拓していきました。
嘉兵衛のふるさと 淡路島で特命店員に調べさせました。 子供の頃から利発だった嘉兵衛。 村のマドンナを よそ者の嘉兵衛が。 ある夜 嘉兵衛は 彼らが自分を 袋だたきにしようと狙っているのに気付きます。 身の危険を感じた嘉兵衛はふさと再会を約束して淡路を飛び出します。 それは 「恋」ですね優秀な船乗りとして活躍するようになった嘉兵衛は晴れて ふさと所帯を構えます。
高田屋の法被や暖簾などが展示されていますさまざまなところに描かれています品質や量を ごまかす商人も多かった時代嘉兵衛は昆布やニシンなどに等級を定め更に 重量を きっちりと量って出荷しました。 それは 「みな人ぞ」という精神そこには 何より嘉兵衛の人間としての魅力が大きく影響していたのです逆境の中で支えになる人がいたというのが非常に大きかったというお話なんですけれども宮内さんは 逆境の中でこれをバネに頑張れたというようなものはありますか?人との つながりですよね。
嘉兵衛自身は まず儲けようと思ってやるんだけどその行動自体は結局 関西の人に蝦夷地のものを 良質なものを大量に もたらすわけですよね。 嘉兵衛は これから また ビジネスを飛躍的に発展させるわけですがそこには ある一つの知恵がありました。 嘉兵衛は 海の色や風の動きを緻密に読んで危険な流れに巻き込まれない航路を開拓します。 貪欲に知識を吸収していた嘉兵衛。 星の高さや方角から 船の位置を正確に把握できるすべをこうして 東回りのルートの開発に成功した 嘉兵衛。
でも 嘉兵衛はそこでも諦めずに知恵を使って それを乗り越えていったんですね。 ある時 嘉兵衛に 幕府から壮大な仕事が持ち込まれました。 しかし嘉兵衛は承諾します。 更に嘉兵衛はリスクを回避するための方策を怠りませんでした。 難事業を成功に導いた 嘉兵衛。 ただ ビジネスというのはですねリスクを冒すという事からしか成功は生まれてこないわけです。 ですから 私は経営者のやる事というのはこのリスクを…ほんとのリスクというのは危険ですからね。