先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 異文化との交渉力「高田屋嘉兵衛」

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この番組のまとめ

高田屋嘉兵衛と 宮内さんからたっぷりと知恵を味わいます。 先週から高田屋嘉兵衛ご紹介してるんですけれども実は 高田屋嘉兵衛っていう人実に 交渉がうまい人だったんですね。 そういう中で交渉していく大変さというのはどんなところにあるんでしょうか?コンピューターの世界じゃありませんからね人間同士の結び付きができるかどうかという事ですからロシアに拿捕されてしまった高田屋嘉兵衛なんですけど当時 鎖国ですよね。 高田屋嘉兵衛が生まれたのは明和6年で 1769年なんですね。

嘉兵衛が いつものように国後島沖を航行していた時の事です。 折しも そこに通りかかったのが嘉兵衛の船でした。 嘉兵衛は この時 奮っててその時に ちょっと待てと。 そういう意味じゃ高田屋嘉兵衛は お手本ですね。 捕虜として嘉兵衛たちが連行された カムチャツカ。 ある時 副艦長のリコルドが任務のため しばらくカムチャツカを離れる事になりました。 その関係を一変させたのが嘉兵衛の言葉でした。

サンクトペテルブルクに行く事を聞きつけた嘉兵衛が日本刀を ロシア皇帝に献上してほしいと頼んだのでした。 カムチャツカに連行された時嘉兵衛は責任者である リコルド副艦長にある提案を持ちかけました。 嘉兵衛と リコルドは共に行動するうち2人だけが通じる言葉さえ作っていたと言われるほど次第に 互いの気持ちを理解するようになります。 嘉兵衛はリコルドに 幕府が ゴローニンを捕らえた理由を説明します。 更に 嘉兵衛は交渉を スムーズに進めるためリコルドに ある事を助言します。

嘉兵衛とリコルドは 互いに「タイショウ」と呼び合っていました。 嘉兵衛の出身地 淡路島のたまねぎ たい たこ。 さあ ところで函館という土地は高田屋嘉兵衛がつくり上げた場所なんですけれどもあれだけの豪商ですからあの函館に 何か宝物があるに違いないと思いましてどうも 特命店員 村上真吾です。 私 徹底的に調べてきます!私 どんな所でも探検できるよう完全装備で臨みます!どこかに 高田屋嘉兵衛の隠し財産が眠っていてもおかしくない!まず 訪ねたのは嘉兵衛の財宝の行方を知らないわけがないという この方こちらですね。

むしろ 嘉兵衛さんは函館の町の発展のために箱館に住む家族に宛てた手紙です天下のためです。 捕虜になるという絶体絶命の危機にあって「天下のために頑張ってくる」と書き残した嘉兵衛。 自らの利益だけを求めるのではなく人々を助け 箱館の町を守り育てていった高田屋嘉兵衛。 ばく大な財宝は残っていませんでしたが嘉兵衛に関してはやっぱり淡路島出身で僕の第2の故郷でもありますんで函館にやったのと同じぐらい離婚するとかですね。