ニッポン戦後サブカルチャー史 第10回「ゼロ年代~現在」

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この番組のまとめ

1999年に開設した ネット掲示板「2ちゃんねる」が話題となりIT業界では 起業ブームが起こりネットカルチャーを牽引してゆく。 IT業界をリードしてきたライブドアによる事件がネットカルチャーに 水をさすも勢いは止まらない。

「あぁ 初音ミクね」ってあるけどやっぱり出てきた時は……というのが同時多発テロの辺りから私も その「電車男」ブームがすごい印象に残ってて。 それまで 僕は 演劇をやっててどうやって 立ったらいいかというような事不安定な場所に立ってる時のあの不安定なままで いいんじゃないかとかっていうふうに考えてたんだけどそれは あんなに簡単にちょっと 手で押されたらもし 倒れてしまったらその体は いいのかとかという事をあの事件を通じて考えたという事も あるんですね。

そこでやっぱり重要になってくるのがBuzz Communicationが 主流になってきた事だと思うんですよ。 「Buzz」というのは個人が発信した例えばつぶやきの ひと言だったりその一つの つぶやきが価値を持ちしかも それが トレンドセッターである信頼の置けてる ポップアイコンの人がつぶやく事によってどんどん 拡散されていって広告の輪が広がっていくと。 そういうBuzz Communicationの中での広告の在り方みたいなものが中心になってきたって事が開局以来の視聴者数は4,500万人を超えた。

言ってみれば 世界で最初にDJ配信を定着させたのがDOMMUNEでそこから 世界中で追随が出てきているという現実はありますね。 だから そういう意味ではDOMMUNE自体がオリジナルには なってるという自負はありますね。 サブカルチャー誌としてはかなり影響力のあった次々と休刊になっていくという事があったんだけどその中で何か息づいてるものというのが一つ 発見したのが サブカルチャーって…ちょっと ここに書きますね。

♪「できれば気にしたくない金 金 金」♪「持ってるやつは 持ってるなんだかね」♪「宗教 政治家 大企業みんな一緒」♪「くそがつくほどまとめ上げる 銭勘定」♪「まあ 何とかなるっしょも通じない年頃」♪「1982式 帰ってきた無責任男」♪「おい おい 胸張れ自由業根元から抜け 高層鉄筋コンクリート」田我流という人です。 2000年代以降それは 日本のソフトパワーとなり日本のポップカルチャーに特化し毎年 入場者数を伸ばしている。

「サブカルチャー」と言うと ちょっと違うものになってしまうし「オタク文化」だとそこに特殊な色合いが出てきてこういったものが 海外にどうやって伝わってくかという大事な事だなという話をして…。 サブカルチャーは 世の中に漂う閉塞感を敏感に感じ取って時代のうねりとともに次々と拠点を替えながら新たなものを生み出してきた戦後ニッポンのサブカルチャーの歴史。

それが サブカルチャーじゃないかなと僕は考えてます。 そしたら そのGoogleの検索に出てきたものだけが全てだと思い込んだら駄目だって事になるじゃないですか。 やっぱり マイノリティーだったものがだんだん 人々の支持を得てメインのカルチャーになっていく。 サブカルチャーだったものがメインのカルチャーに押し上げられて結局 僕らはメインのカルチャーになったっていう事実しか知らなかったのでそのマイノリティーの人たちの力というのがサブカルチャーの力なのかなって面白いなっていうのがすごく強く感じた事ですね。