ケンブリッジ白熱教室 第1回「ベッカム実存主義」

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この番組のまとめ

実存主義者と見立てた思考実験や世界的なポップスターマイケル・ジャクソンを例に「美しさ」に対する人間の執着心を考察。 更に FBIによる哲学者に対する捜査からフランス実存主義の歴史をひもとき私たちが抱える人生への不満不幸や嫉妬の解決方法を哲学を通じて 探る。 マーティン博士が考えたサッカー選手ベッカムが パリ生活の中で哲学的な考察を行う架空のブログを題材に実存主義とは何かを分かりやすく講義します。

退場事件についての私の見解は私が パリにおけるベッカムのブログとして書いたがベッカムは 誰もがやるように古典的な否定へと走る。 なぜなら 嫉妬心や恋に落ちる事をコントロールする知識を持つためにはフロイトが言う自分自身の幼少期のトラウマに自分で気がついていなければならないからです。 私が嫉妬心を抱く時 それは本当にコントロールできないものか?サルトルは 感情について初期のエッセーでは かなり強硬な態度をとっているがこれについて曖昧な見解を示している。

でも もし ベッカム実存主義者がプルーストの 「失われた時を求めて」を翻訳すればきっと タイトルを書き直すだろう。 マーティン博士が専門とする「実存主義」に相対する概念は「本質主義」。 古代ギリシャ哲学から続く本質主義に対して実存主義は20世紀に入り 個人を哲学的考察の対象にしようという機運の中から生まれた概念でその作風は 実存主義とのつながりを指摘されています。

1992年 マンチェスター・ユナイテッドのトップチームにデビューした ベッカムは2003年に スペインのレアル・マドリードに移籍するまでの 11年間在籍。 1986年から 2013年までの27年間に リーグ優勝13回ファーガソン監督にとってベッカムは 特別な選手。 「アレックス・ファーガソンはベッカム実存主義者ではない。 ファーガソンも デカルトのようにチームの選手たちはファーガソン監督によって プログラムされた自動機械だと考える癖がある。

「ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドの伝説にもなれたはずだ」と ファーガソンは言う。 つまり ファーガソン支配なのだがベッカム実存主義者は自然と この専制君主的な思考に反論する。 先生は ファーガソンが ベッカムを理想のサッカー選手にしようとしていた事を話されました。 ベッカムはサッカー選手としてだけでなくここで ファーガソン監督の自伝に戻ってみたい。 ファーガソンの その後の説明では翌日 試合を分析するために2人が 顔を合わせた時「ベッカムは座って 私の話を聞いていたが彼は ひと言も発しなかった。

マーティン先生は ベッカムが 良好な人間関係を築いた ファーガソン監督を本質主義者だと表現しましたがなぜ ベッカムは 今でもファーガソンの事をとても好きなのだと思いますか?ベッカムと監督は違っているにもかかわらず仲が良かったのは なぜですか?「とても好き」というのは それを正しく表している言葉だろうか?これは ある意味対立の美徳によってだ。 ロイ・キーンが テレビ番組に出てマンチェスター・ユナイテッドの歴代の選手からベストイレブンを選んでいてキーンは 他の選手よりも先にベッカムを選んでいました。

これは サルトルの言葉で言う「即自存在」の領域にある。 でも ベッカム自身は どうか?「対自存在」。 ベッカム自身は 対自存在だ。 サルトルが提唱する 即自存在とはそれが何ものであるかを規定されて存在しているもの。 これに対して 対自存在は何ものであるかを規定されず自己に向かい合い自己をつくるもの。 つまり人間は 対自存在にあたります。 私の役割は 何なのか?人間個人の存在理由についてはある程度の不確かさがある。 対自存在は「もの」には適用できない。

こうしてみるとベッカム実存主義者は 未来志向だ。 これは ベッカム実存主義者が楽観主義者だという事を意味するのか?確かに ベッカムの周りはインフレを起こす傾向がある。 ベッカムの妻は 何と言うだろうか?ヴォルテールの冷笑的な視点の下天真らんまんな主人公 カンディードにあらゆる不幸が襲いかかる風刺小説です。 つまり 真理へ向かう道筋を提供できると主張する哲学をベッカムのメンタルトレーナーが皮肉を言う。 ベッカム実存主義者は「私は変身しなければならない。