ケンブリッジ白熱教室 第2回「美と醜悪の現象学」

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この番組のまとめ

大胆な仮説や奇抜な思考実験を駆使して現代人が 心の中に抱えるさまざまな悩みや矛盾の解決方法を探る「実践的フランス哲学講座」。 サッカー界のスター デビッド・ベッカムを実存主義者と見立てた思考実験や世界的なポップスターマイケル・ジャクソンを例に「美しさ」に対する人間の執着心を考察。 更に FBIによる哲学者に対する捜査からフランス実存主義の歴史をひもとき人間は なぜ美しさを求めるのか。

マイケルの理論において子供たちにおける「規則」は重要だ。 私が知る限り マイケルは ルソーを参照しているわけではないがそして 「野性的なもの」について書いている。 ルソーによると 子供たちは「高潔な野蛮人」として知られるようになった神話的存在の小規模なものだ。 子供と大人? 狩猟採集民と農民?それ以上に人間の意識についてだと思う。 「天も 汝等の喜びに加わって」というのが私たちが話している事つまり マイケルが言っている事の中心だ。

私は マイケル・ジャクソンがプラトン あるいはオルフェウスの神話をほのめかしているという理論が理にかなっていると思いたい。 別の言い方をすれば喪失 忘却 そして回想という古典的な プラトン的理想形に通じるマイケルの個人的な哲学だと言いたい。 誰か ソクラテスが どのように自らの理想形の理論について懐疑的だったのか覚えているか?椅子 テーブル 男性 女性 もちろんこれらには 全て理想形がある。

同様に「男性」の理想形が美しいのは男性そのものであるから。 具体的に言えば 整形への執着は自分が 美の理想形と考えたものに近づこうとしていたという事を示しています。 しかし その理想形とは社会によって形成されたものです。 よし 私たちはここに 理想形が必要で理想形に対応する人がいて そこに理想形に対応しない人がいる。 アルキビアデスは ソクラテスを森に住む 好色な牧神サテュロスあるいは 「セター」「サター」のようだと言う。

ソクラテスの哲学にもかかわらず私たちは まだ理想形に 自分を一致させようとしているのか?哲学者でもあったジャン=ポール・サルトル。 君たちの中には サルトルが醜さを発見した瞬間の事を知っている人もいるだろう。 サルトルが 醜さを発見した時の事を誰か覚えているか?私が 「髪形が決まらない日」と呼ぶ日だ。 サルトルが 散髪をした時の事。 サルトルの自伝で この部分を覚えている人はいるか?それは 彼が7歳か8歳ごろだったと思う。 実際 サルトルの子供の頃の写真がここにある。

「Man in the Mirror」。 多分 鏡の中の男は 理想形でマイケル・ジャクソンはもし 彼が 理想形に自分の生き方を変えてほしいと思っているなら自分の理想を変えなければいけないとあるいは 少なくとも理想形に 必死にたどりつこうとするのを止めようとしていると思います。 「Man in the Mirror」のプラトン的解釈からサルトル的解釈に移ろうと思っていた。

だから マイケルは 強い自意識あるいは 彼自身のあるいは他人からの凝視の恐怖に苦しんでいたと言う事ができる。 マイケルが どのように視覚的に 自分を再構築したのか。 この 即自存在と対自存在が一致した状態本質と実存の一致が「即自対自存在」となります。 誰か 崇高の仮説的定義を提案してくれないか?あるいは 崇高に見えるだけで十分だと感じるか。