清少納言が 宮仕えを始めて2年も たたないうちに新しい権力者に取り入ろうと貴族たちは 彰子のサロンに足を運ぶようになりました。 更に 定子のサロンでは清少納言に関する 黒いうわさがささやかれるようになりました。 この道長は ほんと 私たち歴史で習いましたけれどもほんとに 時の権力者というか絶大な権力を誇った人というイメージですけどその同じ時代に 清少納言がいた。
春という季節を 「桜」や「うぐいす」といった風物ではなく…歌が不得意で 文章を書くのが得意だったんですね。 和歌というのはやっぱり 形式にのっとって清少納言は もう 圧倒的に散文型の人間でしたよね。 さあ それでは「エッセイストの条件」続きは VTRで見てみましょう。 清少納言 「エッセイストの条件」。 テーマを決める事によってジャンルの違う事柄を「枕草子」 「うつくしきもの」に次のような文章があります。 関心のある事にはためらわずに行動する 清少納言。 それから 網代ってジャンルで見ると 道具でしょ。
なんですけど清少納言は興味を持つ。 こういう人の興味が持たないところからミーハー的な興味まで 幅があるこれが エッセイストの いい要因になっていたと思いますね。 エッセイが先か清少納言のセンスが先か みたいな。 でも そもそもですねこの「枕草子」ってもともと 清少納言が定子様のためというかひそかに自分で書いていたプライベートなものだったのにどうして このように この世に残ってるんですかこれは?これは 「枕草子」の跋文後書きに書いてあるんですけれどもそのまま 持って帰っちゃった。