ケンブリッジ白熱教室 第3回「FBI 対 フランス哲学者」

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この番組のまとめ

どうやって FBIの資料を入手したのですか?アッハッハ!実際には「ニューヨーク・タイムズ」で働く友人にどうやって FBIからフランス哲学者たちのファイルを見つけ出せばいいのかを尋ねた。 さて 私たちは FBIを反哲学者と考える傾向がある。 FBI初代長官 フーバーとその部下たちが哲学者 特に外国人哲学者たちに深い疑いを抱いていなかったという人は いないだろう。

サルトルや カミュなどのフランス哲学者たちもこの ナチス・ドイツへのレジスタンス活動に加わりました。 しかしフランスのレジスタンス活動の中心がそもそも サルトルをアメリカに送り込んだのはレジスタンスの秘密新聞「コンバット」の編集者であったアルベール・カミュだった。

後に タブイは サルトルらのグループが発行する別の新聞その間 自称「書く機械」 サルトル彼は 猛スピードで記事を書きまくっていた。 フランスの雑誌「ル・フィガロ」はサルトルの記事を出版した。 これも 偉大な戦争努力についてのサルトルの意思表示だがその記事の中で 彼は反レジスタンスだとしてアメリカを拠点に活動する他の フランス人ジャーナリストを非難する。 サルトルはアメリカから期待された役割を実際 果たしていない事に気付き少し 前言撤回をしようとしてある記事を出版する。

ちなみに サルトルはニューヨークに ガールフレンドがいたが捜査官は その事も知らなかった。 だから サルトルと 仲間のメンバーがアメリカ国内を動き回る度に彼らは さまざまな共産主義組織誰も 彼らが 何の調査をしているのか知らなかった。 サルトルの監視と 情報収集に対する態度は どうだったと思うか。 なぜなら サルトルはむしろ フーバー長官と似ていて簡単に言えば もう一方の情報主義者だったからだ。 サルトルは 社会に対して情報戦争を挑んでいた。

サルトルは 1945年3月戦略諜報局の エージェントの一人のところに立ち寄って話をする。 だから 政治的な意味合いで「透明性」と サルトルが言うのは不思議な気がします。 君は サルトルの文筆キャリアにおけるある種の移行という意味で個人的なものから より政治的で公的なものへの移行だ。 でも同時に政治的目的については正確には 第2次世界大戦の戦争経験 全体がサルトルに影響を与えたに違いないと言う事もできる。

サルトルは「行動的な男」でありたかった。 だから疑いなく第2次世界大戦後サルトルは ある意味 埋め合わせをしようとしていたのだと思う。 FBI長官フーバーは ニューヨーク支局の担当特別捜査官に手紙を書いた。 ケーナスは外国文書糾弾合同委員会のリストに 名前が載っている」とフーバーは言う。 カミュは サルトルとは対照的に分別とプライバシーの美学を提案する。 一方 サルトルは 情報の最大化透明化へと向かう傾向がある。

FBIなどの捜査機関は「哲学的警察官」という範疇に入るものだ。 明らかに FBIの人々は反共産主義者だ。 しかし 彼らは 十分に反共産主義的ではなかったと私は主張したい。 共産主義は FBIにとって実際には 意味をなしていない。 この考えは 主に フーバー長官から課された 長く続く命題「一体 実存主義とは何なのか」に答えるニューヨーク支局の捜査官によるものだ。 そのため 捜査官はFBIが 哲学について書いた資料を真剣に読む。