先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) ヒット作の生み出し方「蔦屋重三郎」

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この番組のまとめ

今日ご紹介しますのが 江戸時代の希代のヒットメーカー この方です。 その知られざる交流秘話とは?数々のヒットを飛ばし 江戸の流行を作り出した男 蔦屋重三郎。 果たして…今日は 江戸と現代2人のヒットメーカーからそのヒントを学びます。 それは ヒットを出そうと思って僕は考えたわけじゃなくて例えばイタリアで 当然 イタリアもうにのスパゲティがあるのでイタリアで食べた時にもっとこうしたらいいのになって思いがあったんですよ イタリアでは。

今回 取り上げます蔦屋重三郎なんですけれども江戸時代 出版プロデューサーとしてヒットを生み出した人なんですが詳しい方お呼びしてあるんですよね。 江戸時代庶民が好むような出版物がいろんな種類出るんですね。 その背景があるからこういうベストセラーとかあふれる出版物というのはその時流に乗ったのがまさに蔦屋重三郎。 本が詰まった箱を背負って蔦屋が回ったのは吉原の茶屋や遊女たち。 吉原の町のガイドブックです。 蔦屋のガイドブックは大評判となります。

最新情報を満載した細見を定期的に刊行し版元として足場を固めていくのです。 最終的に 最大のあれは私は 地元というかまさに 吉原生まれの吉原育ちが出版してるんですから情報の確かさ。 一発ヒットを出すだけだと 駄目だと。 一発ヒットも大事ですけどヒットした ヒット作をず~っと 必ず 同じに作り続ける。 ロングヒットね。 「吉原細見」でヒットを飛ばした蔦屋重三郎なんですがこのあと 更なるヒットを生み出していくんですよね。

その後 他の版元が手を出そうとしても主だった狂歌師たちは既に 蔦屋に抑えられておりヒットは 蔦屋が独り占めしたのです。 狂歌と浮世絵人気者同士の組み合わせでした。 美しいながらも 洒落を利かせた蔦屋の狂歌絵本は何度も版を重ねるほど評判となります。 狂歌と浮世絵を組み合わせた狂歌絵本。 どちらも まさに蔦屋自らが狂歌のファンになったからこそ気付いた アイデアでした。

後に 「南総里見八犬伝」を執筆し江戸文学のスターとなります。 大坂から江戸に来た当初蔦屋の家に居候していました。 発行も禁止されたり 財産半分持っていかれたりしてる中遠く江戸文化 江戸文学界はどうなるかっていう。 江戸時代 最大の歓楽街 吉原はグルメタウンでもありました。