日曜美術館「フェルディナント・ホドラー 果てしなき変遷」

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この番組のまとめ

フェルディナント・ホドラーの 日本での大回顧展が開催されるのは実に40年ぶりという事なんですけどね僕が 今年40なので僕が生まれた時にあったという事なんですけどもそれまで なかったというのが逆に驚きというかですよね。 結核が大流行し まず父親が続いて兄弟が生活のために始めたのが観光客相手に風景画を描いて売る仕事でした。 さあ こちらは ホドラーが画家としてデビューして以降の作品がずらりと並んでるんですがいろんな人々の視線を感じる…。

一般にですね 死者を描くとかあるいは 何か苦しみの身体を描くという場合ヨーロッパでは 伝統的にはキリストの身体 キリストの受難とかそういったものですよね。 先ほどの 農夫の方の絵はホドラーの 死への興味への初期衝動のようななんか ものすごい素直に描かれてるなっていう印象が強かったんですけどこの「傷ついた若者」を見るとその10年間の間に こう…。 そして 「オイリュトミー」という大きな作品が…。

なぜ 老いた男性たちの歩みを描いた この作品の事を「オイリュトミー」というふうに名付けたかというのは非常に興味深い事ですね。 ホドラーの まさに装飾的な…。 装飾的な画面をどう作り上げるかという事で形の反復というのが 彼自身はそれを 「パラレリズム」というふうに類似する形態 反復によって構成するという方法を生み出すんですね。 音楽的な発想だと言っていいかもしれませんけれども何か こう 倍音のように響いていくというような一層 装飾的な画面。

むしろ ホドラーは自然の中にこそ反復があると考えてそれを 絵画の構図の原理にしようとしたわけですけどいわば この湖が イメージを変換するスクリーンのようなものになって風景画って ちょっと退屈で私 飽きちゃうんですけれどここのお部屋の ホドラーの後期の風景画っていうのは飽きないですね。 晩年のホドラーは その最愛の恋人が死に向かう様をでも 何となくですけどもちろん その事自体は何もしないよりは楽だったというかある種 悲しいのを忘れられる行為だったかもしれないと思いますね。