Eテレセレクション・アーカイブス 知るを楽しむ 人生の歩き方~赤瀬川原平〜

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この番組のまとめ

♪~画家 作家としてご活躍の赤瀬川原平さんの「人生の歩き方」。 屋根にニラが ずらりと植えられた赤瀬川さんの自宅。 何やら楽しげな この家で赤瀬川さんは執筆や イラスト制作などの日々を過ごしています。 1981年 赤瀬川さんは 「尾克彦」というペンネームで 芥川賞を受賞。 変幻自在な 赤瀬川さんのユーモアと遊び心。 子供を6人も抱える貧乏な家庭でどうやって赤瀬川さんはユーモアを育んでいったのでしょうか。 当時 高校生だった隼さんは赤瀬川家の状況をちょっと大人の目で見ていました。

しかし 面白い事を人に伝えたいという思いは赤瀬川さんの心に強く残ったのです。 実はそのころ 赤瀬川さんは雪野くんにも言えない深刻な悩みを抱えていました。 赤瀬川さんの作品を いろいろ読ませて頂くと 少年時代おねしょをした事が 大きく人生を変えたと書いてありますけどありますよね。 でも 普通はね 1年生ぐらいでそのうち おやじが一計を案じてこれは 中学生になるくらいかな…小学生の終わりの方かベッドを木で作ってくれてそこに油紙を敷いて。 何で自分だけこうなのか という自意識みたいな…。

赤瀬川原平さんの 「人生の歩き方」2回目の今日は赤瀬川さんの活動で 重要な役割を担ってきた 路上にスポットを当て数か所を訪ねながらお話を伺ってまいります。 今日は私たち 渋谷に立っておりますけれども赤瀬川さんの最初の路上体験は渋谷だったそうですね。 幼い頃から 絵を描く事が好きだった赤瀬川さんは高校卒業後 画家を目指し 東京の武蔵野美術大学に入学します。 46年前 赤瀬川さんが芸術家としての第一歩を記したのが画廊が 銀座にしかほとんど なかったんですよね。

前衛芸術家としての赤瀬川さんが現実に まみれてきたわけですね。 ここで路上観察を 実際に指南して頂こうと思うんですが路上観察のコツはどんなところに ありますか?特には ないんですね。 路上観察は人生そのもの。 この辺の ステレオカメラっていうのはアメリカ。 それから イタリアがあるしフランスもあるし中古カメラ市に行って そこで もう中古カメラウイルスっていうものに感染しちゃったんですよね。

ただ 立体カメラ ステレオカメラっていうのは現代では もうほとんど作られていないんです。 だって そのために ステレオカメラを買いに行ったんでしょ?買いに行ったけど あまりにも自分に知識がないのを知って。 「コンチュラ」という このステレオカメラを手に入れる一部始終を書いた小説です。 世界で130台しかないというこのカメラに 一目ぼれし悪戦苦闘する お話です。 こうして次々と生まれる小説を赤瀬川さんは「カメラ小説」と命名しました。

早田さんによると 古いカメラは簡単に分解できないようにひねくれた設計になっているものが多いのだそうです。 毎年 診てもらってた先生がいて最初に診てもらった時に「新品同様」っていう。 中古良品 これが 一番いいとこなんじゃないかと思うんですよね。 だから 中古良品といえるかどうか…。 どうでしょうね… どのカメラというふうにも言えないですけどね結構 レンズも 乱視とかが入って曇ってきてますしね。 「中古良品」という言葉を人間世界に 当てはめてしまった赤瀬川さん。

「赤瀬川流 老いの極意」とは一体 どんなものなのでしょうか。 赤瀬川さんにとって老いの理想を形にしたのがこの望遠鏡なのです。 「老人力」は1998年の流行語大賞を受賞。 そもそもの「老人力」という言葉はどういう きっかけで出てきたんですか?僕ら 「路上観察学会」っていうのを毎月っていうかよく合宿をしててで 10年ぐらいたった…まあ 合宿の間に。 仲間内の冗談を きっかけに「老人力」を1冊の本にまで深めた 赤瀬川さん。 日々 老人力がついていく自分自身が題材になっています。

だから これは考え出したら面白い原理だなと思ってじゃあ 物忘れ一つ忘れたとしたら老人力が一つ ついたって言おうっていう。 1998年 「老人力」が発売されると出版元には 全国から次々と感想が寄せられました。 老いに対する固定観念をひっくり返した「老人力」は多くの人を勇気づけました。 「老人力」は 流行語になり報道番組でも取り上げられました。 日本全土に 老人力現象が巻き起こりました。 「老人力」 今この言葉に多くの中高年が共感しています。

自分の貧乏性を テーマにして書いた「超貧乏ものがたり」。 何か きっかけはあったんですか?一番最初は 「貧乏性」ですね。 自分は すごい貧乏性なんですよ。 それと似たような事なんですがそれで 「貧乏性研究」っていうので始めたら弱点が面白くなってきて。