日曜美術館「革新の極意~古田織部400年の時を超えて〜」

戻る
【スポンサーリンク】
09:19:48▶

この番組のまとめ

仕掛け人は 古田織部。 古田織部。 今年5月 織部の四百回忌法要の茶会が開かれました。 古田織部は信長 秀吉 家康という3人の天下人に仕えた武将です。 明確な資料は残されていませんが織部が注文し織部焼は 都をはじめ各地に送られ茶の湯の世界の大きな潮流となっていきました。 織部より 20歳年上の利休は一切の華美を排した織部は 40代の頃茶会で利休と出会いました。 神官の履く沓に似ている事から「沓茶碗」と呼ばれ織部の代名詞となりました。 ここまでいけるぞ という古田織部の独自の美意識。

床脇に置きました香炉はいわゆる織部の僕なんかが織部焼を見るとですね やはり自由な形と とらわれてない絵付けなどを見て細かい事は知らずとも楽しい気持ちにさせられるという。 利休とは正反対の美を追求した織部。 誰もが 秀吉の目を恐れて別れを はばかる中利休を そっと見送る織部。 最後の茶会で利休が織部に与えたもの。 その利休が説いた教えは…織部は 師の教えをどう受け止めたのか。 織部は利休のスタイルに倣うのではなく遊び心があふれる 弾むような美をつくりあげました。

織部があって二人 全く対照的な人が同じ茶の湯という文化の中で自由に振る舞ったから江戸時代の中頃に1,200両という破格の値段で取り引きされたという 伝説の逸品です。 「御所丸茶碗 銘 古田高麗」。 遠く朝鮮半島との間にどんな物語が秀吉の朝鮮出兵が始まり 織部も九州・佐賀の名護屋城に出陣。 安さんは日本の陶芸を研究する中で「古田高麗」の由来に深い関心を寄せています。 安さんは織部が注文したとするなら高麗茶碗の一種で 素朴な風合いが日本の茶人たちを魅了しました。