キルトに込められたキャシーさんの人生。 今日は キルトの話ですが。 両側に これ キャシーさんが作られたキルト。 これは ハワイアンキルトっていうものなんですね。 あの… キルトって アップリケキルトやアメリカンパッチワークとかでも お会いした頃はもう やってたんですね?やってたんですよ。 キルトで作られたソファーやクッションのカバーは生活の中にぬくもりを もたらします。 最初に アメリカで作られていたキルトは冬の寒さをしのぐためのベッドカバーだったと伝えられています。
キャシーさんが 初めてキルトを作ったのは 20歳の時。 高校生の時にモデルとして デビューしたキャシーさん。 ウインドーに飾ってあったキルトのベッドカバーを目にします。 ファーストキルトなんですね。 キャシーさんは 20歳で このキルトを作られた訳ですけれども実は 27歳に時に皆さんご存じの方と結婚します。 1979年 キャシーさんは俳優の勝野 洋さんと結婚。 その後 大河ドラマや 大型時代劇舞台など幅広く活躍しています。
私は 子供たちも 勝野も含めてマニュアル持ってるんですね。 さて 続いてご覧頂きますのはキルトの魅力を幅広く多くの人に 伝えていこうというキャシーさんの取り組みをご覧頂きたいと思います。 幼稚園のサークル活動の一環でそれまで趣味で作っていた得意のキルトを母親たちに教える事になったのです。 あ~! かわいい〜!こちらは 今年の夏 キャシーさんが作った 赤いサンダルバッグ。 まずは 自分たちで選んだ生地の上にどんなサンダルを乗せていくのか選びます。 次に 配置を考えながらサンダルを乗せていきます。
何かね私 思うんですけど教室にいらっしゃる生徒さんたちっておうちとか おうちの周りでは誰々のお母さんとか何々さんの奥さんとかそういうふうに自分の名前をしっかりと呼ばれる事がないので一番最初に 教室にいらっしゃった時にフルネームで名前を呼ぶんですよ。 さて 続いては キャシーさんの青春グラフィティーです。 キルト作家として活躍するキャシーさんの原点は 横浜本牧。 横浜本牧地区。 戦争直後に造られたアメリカ軍人と その家族が暮らす居住区があった場所です。
当時は 流行の先端を行くファッションセンスを買われ18歳で モデルの仕事もしていました。 とにかく本牧にはすぐ横に基地がありましたのでだから 塀のフェンスの向こうのアメリカ。 もうね エネルギー 自分の中にどうにも止められない エネルギーがあってそれは 例えば 新しい音楽リズム&ブルースとかそういう音楽を聞いてその音楽に合わせていろんな外国の兵隊さんたちが休みの時間に来て踊ってますでしょ?それ見て あのステップが 新しいって新しいステップを覚えて。