先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) トップは発想せよ!「伊達政宗」(後編)

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この番組のまとめ

世界的建築家 隈 研吾はその知恵を どう読み解く?佐藤さん政宗の町づくりというのはどれだけの困難を伴ったものだったんですか?隈さんも非常に大きなプロジェクトの中でさまざまな逆境ってあると思うんですが例えば どんな事がありますか?歌舞伎座なんて日本中の人が見てるわけじゃないですか。

今日は 政宗の人生 じっくり味わって頂きたいんですがちょっとね私 創作料理っていうものにちょっと チャレンジをしてみましてね。 そのうえ幕府は仙台藩に 江戸城の普請など大きな経済的負担を強いてきます。 3万人とも言われる家臣団を抱える伊達家は家臣の給与である米の支払いにも困るようになっていきました。 政宗はこの厳しい状況を打開するため新田開発に乗り出します。 仙台藩では 家臣に給与として米を現物支給していました。 家臣にとっては 所得倍増藩にとっては支出抑制となる相乗効果の仕組みを生み出したのです。

慶長16年仙台藩のトップとして采配を振るっていた政宗は「政宗領内 大地震 津浪 入る」。 青に塗っているのが東日本大震災の浸水範囲なんですが1611年 慶長奥州津波はもっと内陸部の千徳の方まで波が到達したという記録があります。 政宗は津波で被災した海沿いの地域を積極的に開発し復興を進めようとしていたのです。 海岸から程近く東日本大震災でも 大きな津波の被害を受けました。

各地に復興商店街あるんですけどさんさん商店街いつもお客さんいますもんね。 この名取市北釜地区も江戸時代以来海岸林に守られてきた町です。 海岸林をもう一度 取り戻すため高梨さんたちはある活動に取り組んでいます。 津波にも負けない丈夫な海岸林が出来るのです。 一生懸命 とにかく仙台平野を守るためにもこの土地を1,000年を超えて続く繁栄の地にしようと誓った 政宗。