♪~昭和の日本を駆け抜けた文学者三島由紀夫。 昭和という時代に虚無を見つめ続けた文学者三島由紀夫の思索に迫ります。 自衛隊の市ヶ谷駐屯地に立て籠もり演説を行った三島由紀夫。 日本の敗戦を 三島は日本は マッカーサーを最高司令官とするGHQの占領の下歌舞伎やチャンバラ映画で あだ討ちや反逆を描く事が禁止されました。 終戦直後 日本の古典に感化された三島の原稿は昭和22年に東京大学を卒業した三島はそれで僕は…退職した三島は 作家生命を懸けて長編に取り組みます。
三島は コンプレックスにさいなまれる人間が「金閣寺」で大きな成功を収めた三島は活動の幅を広げていきます。 三島は小説家 戯曲作家 俳優などさまざまな顔を持つ昭和のスターとなります。 昭和40年 三島は 短編小説「憂国」の映画化に取り組みます。 二・二六事件で処刑された将校と神風特攻隊で命を落とした兵士の霊が現れ昭和天皇の人間宣言を批判します。 天皇に象徴される日本古来の歴史や文化を守る事を三島は 主張し始めます。 昭和40年 40歳の三島は ライフワークとなる 長編小説の連載を始めます。
三島は 共産主義がもたらす混乱に対抗するとして訓練で 三島と1,500mを走った時の事が今も印象に残っています。 同じ月ベトナム戦争に反対する学生たちが全共闘が占拠していた安田講堂に機動隊が突入。 全共闘と三島で対話をしようというのです。 全共闘と三島の間で解放区をめぐって議論が重ねられます。 全共闘と三島。 日米安全保障条約の期限切れを控えた昭和44年佐藤首相は 条約の継続を協議するため アメリカへ向かいます。 事件当日 市ヶ谷の駐屯地に三島は記者の徳岡孝夫さんを呼び出し 手紙を託しました。