ああそういえば子供が大きくなってこの南さんの青春時代を振り返りながら我々の青春時代も一緒に振り返って頂きたいと思います。 南さんは昭和24年父 大道さんと母 チヱさんの間にメンバーには 高校の後輩で後に「かぐや姫」の一員になる1968年 南さんは大学進学とともに憧れの東京での生活をスタートさせます。 大学当局は一体 何をしたのか?その頃 全国の大学では学生の自治や ベトナム反戦を求めて学生運動が激しく燃え上がっていました。
そして1971年 南さん 22歳の時高校の後輩 伊勢正三4歳年上のベーシスト 山田パンダと「かぐや姫」を結成。 第一次オイルショックで 日本列島が大混乱に陥った年でした。 当時 放送作家だった喜多條さんと南さんが初めて出会ったのはラジオ局の一室でした。 南さんは 喜多條さんの才能を見込んで3枚目のアルバムのために 1曲だけ作詞の依頼をしたのです。 実は この頃 南さんは同じアパートに住んでいた後に妻となる女性と知り合い同棲生活を始めていました。 この歌を作詞した時喜多條さんは既に26歳。
ずっと結婚式とか やらないというのをしかし 一方で社会的メッセージのないその極めて小さな叙情的な世界観がフォークを堕落させたと痛烈な批判を浴びました。 悩んだ末「神田川」から2年後の1975年人気絶頂の「かぐや姫」の解散を決めたのです。 ♪「貴方は…」ソロミュージシャンとしての新たな旅立ちでした。 かぐや姫です」って最初に メンバーを「メンバー紹介します」って我々 メンバーを紹介したんですよ。 なかなか ヒット曲が出ない時期の南さんを取材した貴重な映像がNHKに残っております。