先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)最強のチームを作るには?▽本田宗一郎・前編

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この番組のまとめ

見られるだけ幸せと思って下さい店長 このエンジン!世界一のエンジンですよ。 そうなると 店長ね 今日のお薦めやっぱり「本田宗一郎」。 今日は 本田宗一郎の知恵見てまいりたいと思います。 「無謀な挑戦」と笑われながら宗一郎たちは猛然と エンジン開発に取り組みます。 その知恵を教えてくれるのは…大学で精密工学を学んだ川本さんは 研究所に配属され宗一郎のもと 数々の自動車エンジンの設計に携わりました。

川本さんは間近に 本田宗一郎という人を見続けてこられたわけですけどどんな人だったと?最初はね社内に入って新入社員でねあちこちでどなりまくるオヤジでねいや~ 恐ろしい所へ来ちゃったなと思いましたね。 経営学が ご専門で本田宗一郎の本もたくさん書いていらっしゃいます伊丹先生ですが伊丹さんお知り合いですか?昔から お世話になっております。

こういうふうにしようと思ったのは本田宗一郎さんだけだから。 本田宗一郎は 世界一というのにこだわってたんですか?大本には 戦前の自動車の修理屋をやってましたでしょう。 その時の 日本の自動車技術と輸入の自動車技術の差が圧倒的に違うんです。 これはほんとに大きな人物だなという感じがしますがバタバタを大ヒットさせた宗一郎。 宗一郎は アイデアが ひらめくと場所など関係なく説明を始めます。

具体的には どういうような営業戦略をしていったのですか?例えば 例で言いますとバタバタの後継の後継ぐらいのにカブというF型エンジンというやっぱり自転車につけるエンジン開発した時に今でいう ダイレクトメール作戦をとった。 全国に3万軒ぐらいあった自転車屋さんそれに全部 手紙を送って自転車に ちゃんとつけるエンジンが我が社で出来たと。

そして 宣言から7年後の昭和36年なんと125cc 250ccの2つのクラスで宗一郎 宣言の中で 「好機到る!」というふうに言ってましたが会社が傾いている中で どうして好機と思えたのでしょうか?やれる事っていうと自分も含めた従業員の120%パワーを出してやるしかないわけですよね。

チームをまとめた この宗一郎のやってやろうっていうスピリットですけれども更に 最も大切にしていた考え方っていうのがそして 昼休みともなれば食堂で 従業員と一緒にカレーや ラーメンを食べる。 1990年 既に社長を引退していた宗一郎が栃木工場を訪れた時の事。 宗一郎 晩年の秘書住川忠行さんもそうした姿勢を間近で見ました。 社長引退後に宗一郎が使っていた執務室。 大変 将棋は強くて 10回やって私は 1回勝てばいい方でそんな事でよく お相手をさせて頂いた住川さんは1989年 宗一郎に同行して宗一郎の言葉です。