先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 信頼関係を築くには?「保科正之」(後編)

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この番組のまとめ

一体 正之は どのようにして領民の離れた心を取り戻し信頼関係を築けたのでしょうか?その知恵を読み解くのは数々の飲食店を経営する企業の副社長…安田さんたちは3年前 銀座に1号店を オープン。 テーマは変わって「信頼関係を築くには?」という事なんですが大木さん 仕事関係の信頼関係仲間との信頼関係奥さんとの信頼関係築けてますか?これは ほんとに無視しちゃおうかなこの話。 先生 今 ご覧頂いたんですけど保科正之が入った会津藩ですねこれ なかなか大変な状況だったようですね。

保科正之ですけれども信頼関係が 全く失われた藩にやって来たわけですよね。 実際は10万石しか収入がないのにしかし正之は 見栄えに こだわる無意味さを悟りすぐに荒れ地からの年貢の取り立てを中止します。 正之の公正さに感じ入った農民たちが実は 自分たちが人目につかない山間部や谷間に…重い罪に問われました。 正之は 見栄を張らず誠実な姿勢を守る事で農民たちとの信頼を結ぶ事に成功したのでした。

それに「従三位」を与えようというそういう朝廷からの働きかけがあった時もそれは きちんと断ってですね自分は そこまでの位ではないという事で「正四位の下」に とどまるとかそういう ばか正直さというかそれを やればやるほど結局 後々になって問題が発覚するわけですね。 その人たちが その失敗を共有して教訓にするために何か やっている事というのはあるんですか?毎日の事であってもやっぱり各店舗がですねいろんな事を 店長さんを中心にいろんなトライをします。

農民 領民との信頼関係を作るために保科正之は 随分いろんな事を考えてますね。 今回 会津の知恵泉特命店員に任命されました 今井翔馬。 翔ぶが如く 保科正之についてのいいネタ 仕入れてきますよ。 そこには意外な発見がありましたあれ? この「高遠そば」「保科正之公ゆかりのそば」。 高遠といえば 保科正之が最初に藩主になった場所。 でも ここは会津? ちょっとお店の方に伺ってみましょう会津の藩主の保科正之公が信州伊那の高遠からこちらに来られた時にこちらに伝えたというふうに言われてまして。

例えば この 2人目の 2,500石今村伝十郎という人がいますがこの人は 鳥居左京殿のご家来というふうに ありましてもともと 保科正之が山形に行く前に城主であった鳥居左京亮殿という殿様がいましたがその人の家来だった方ですという事が書いてあります。 つまり 保科家の家臣団は高遠 山形 会津 3つの地域の出身者で成り立っていました。