日曜美術館「狩野永徳 よみがえる実像~国宝 檜図屏風・平成の大修理〜」

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この番組のまとめ

江戸時代の「画人伝」で「五百年来 未曾有」と うたわれた天才絵師です。 伝説の絵師 狩野永徳。 永徳といえば 日本美術史上誰もが認める絵師でありながら見えてきました。 大きな図柄を 豪快に描く永徳の画風は「大画様式」と呼ばれ この時代を代表するものとなりました。 修理にあたり東京国立博物館 文化庁修理にあたって 文化財としての価値が損なわれない方法でそういう事を目指して修理を行うと。 新しい補修紙には 手すきで作ったオリジナルに近い雁皮紙を使います。

こうして 手で ちぎってるのは「檜図風」の時と同じ作業ですね。 明治の初めまで 「檜図風」はこの宮家の持ち物でした。 接点があるとすると初代の 八条宮智仁親王。 「檜図風」の伝来としてですけれども八条宮家から伝わってきたものだというふうに現在 美術史の研究者たちは認識しているわけなんですけれども絵画そのものからはそれを示す 物質的物的な証拠というのは存在しないわけですね。

じゃあ それを含めて作品の解釈を どうするかあるいは絵師の息遣いそれを もう一回 見直すそういうのの いい機会になるんじゃないかなと今回 本当にそういう事を思いました。 しかし長い議論の末 襖だった当初の状態に近づけるため新たな姿で お目見えした国宝「檜図風」。 「大坂城の山里曲輪の御鷹屋に障壁画を描くよう仰せつかってしまいこれが大急ぎの仕事なので夜も昼もなく 描いております」。 永徳が関わった事を確信させる最大のポイントは最後に加えられた墨の線です。