ETV特集「冷戦終結 首脳たちの交渉~ゴルバチョフが語る舞台裏〜」

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この番組のまとめ

世界に新たな東西対立をもたらした ウクライナ危機。 ゴルバチョフは新たな発想の外交を打ち出し東西冷戦の終結に奔走しました。 冷戦末期 ゴルバチョフは西側の首脳たちとそれまでの敵対関係を越えて新たな東西対立の火種が生まれていた事も 明らかになりました。 今の ウクライナ危機にもつながるアメリカ高官の発言とは?その舞台裏を ひもときながら21世紀の危機を乗り切る手がかりを探ります。 それを説く手紙がウクライナ危機が起きる直前に米ロ首脳宛てに出されていました。 ゴルバチョフが強調するのは首脳同士の交渉の大切さ。

ゴルバチョフは 「晩餐会が終わったら私が何とかする。 ソビエトから核ミサイルが発射された場合宇宙の警戒衛星と 地上基地が連携して その正確な位置を把握。 話し合いを進めるには アメリカがSDIの開発を停止する事が絶対条件だと迫る ゴルバチョフ。 しかし結果的に この交渉の決裂が核削減につながったとホワイトハウス報道官だったフィッツウォーターは語ります。 この レイキャビクでの決裂によって核削減交渉の扉が開いたとも言えるのです。 ゴルバチョフにとって6度目の首脳会談でした。

その状況を ゴルバチョフも ひどく恐れていたと西ドイツの首相顧問だったテルチクは語ります。 東ヨーロッパに展開する ソビエト軍は西側を牽制する一方東側諸国を縛ってきた枠組みが緩んだ結果ゴルバチョフにとっての問題は 民主化の動きが 東ヨーロッパで進んだ事でした。 東ドイツまで NATOに組み込まれれば軍部にとって大きな脅威になるというゴルバチョフの懸念を聞いていました。 しかし統一ドイツのNATO加盟についてゴルバチョフは最後まで明言を避けました。

この静かな山村 アルヒーズ村をゴルバチョフは最終決断の舞台に選びました。 ゴルバチョフのふるさとにドイツ軍が侵攻し彼と両親は非常に つらい思いをしました。 そこに至る前に 実は ゴルバチョフはアメリカとも話し合いを進めていました。 2002年に公開された…そこには モスクワを訪れた アメリカのベーカー国務長官とゴルバチョフとの会話の内容が詳細に記録されていました。 ゴルバチョフの強い働きかけによって東西34か国の首脳が 一堂に集まる全欧安保首脳会議が開かれました。