足利家は鎌倉幕府の上級御家人でした。 1960年代初めリース業の会社を手始めに金融 不動産から観光 球団経営まで新しい組織を次々と立ち上げてきました。 さあ今日は 足利尊氏について見ていくんですけれどもどうでしょう 増田さんどういうイメージですか? 足利尊氏。 尊氏の家の先祖は鎌倉幕府を開いた源 頼朝と同じ祖先をルーツとしており執権の北条家に次ぐ高い地位にありました。 元弘元年 尊氏は…その同じ年 京で驚くべき出来事が起こりました。
後醍醐天皇と幕府との戦いは数で勝る幕府軍の勝利に終わります。 しかし 後醍醐天皇は諦めず元弘3年 再び挙兵。 尊氏は後醍醐天皇にくみする事を決意。 でも宮内さん これ 後醍醐天皇まあ天皇家ですよねその天皇家と戦うっていうのはなかなか 勇気が要るような気がするんですがいかがでしょうか?これは 年が分かるんですがね戦前の小学生としましては尊氏は逆臣だという事でですね天皇家に刃向かったとんでもない人だという戦前の歴史観ですね。
反対に 後醍醐軍に味方していた武士たちが尊氏側に寝返り始めるという事態に。 この戦闘は当初 尊氏軍の不利と言われていました。 戦いのあと 下野の武士たちは突然 尊氏から呼ばれます。 ある戦場で 尊氏に古くから仕えてきた那須資藤が資藤が息を引き取ると 尊氏は人目もはばからず涙を流し悲しみに打ちひしがれたといいます。 次々と 尊氏側に寝返り始めます。
尊氏は ついに 新しい武家政権をつくるという難事業に事実上 尊氏の分身がいるようなものですよね白紙委任した判紙を持ってる家来がいるって事は。 そこに ある訪問者が…ん? 誰だ?たかうじ君は 足利尊氏のイメージアップが任務だそうですたかうじ君の指令を受けてまず 訪れたのは尊氏が青春時代を過ごした鎌倉。 この浄妙寺は 平安時代末期尊氏の先祖 足利義兼が開いたそうです直筆のものですか?そうですね。 尊氏が 後醍醐天皇と戦った時の意外な心情を教えてもらいました謹慎 蟄居という事ですか?そういう事です。
それを尊氏が 安国寺という名前に変えたのです室町幕府を開いた時に国を安らかにしたいという名前でもって 安定の世界を求めて名前を変えていったと。 「四海之静謐」。 お野菜届きましたけど これ仕込んじゃっていいですか?二代目の「知恵泉」店主になります近田雄一と申します。 二代目店主を務めます 近田と申します。