そこで ブッダは自分がいなくても自己鍛錬を続けていく方法を授けたのです。 第2回は自分自身との向き合い方をブッダの最期の言葉からひもときます。 今回も ブッダ解説者のシッタッタさんとそのアシスタントのアッシジさんにアーナンダは 何人もの亡くなった修行者の名を挙げ彼らは ちゃんと涅槃に入ったのかと ブッダに聞きました。 ブッダがいなくても 涅槃への道がちゃんと保証されているか自分で判断できる基準「法鏡」を教えたのです。
情報が入るという事は我々の感覚器官が その情報の方を向くわけですから…ヴェーサーリーを訪れた ブッダはアンバパーリーという遊女の林に滞在します。 遊女でも悩みを抱え熱心な信者だった アンバパーリーはブッダたちを食事に招待します。 しかし そこに リッチャヴィ族の裕福な者たちがやって来ました。 本来的に 人間を生まれながらに差別するという事を非常に嫌うというか絶対的に拒否する宗教なんです。
この言葉は 「自灯明法灯明」というブッダの教えの一つです。 不安がる アーナンダに対し道しるべは 一つは自分もう一つは法自分自身と ブッダの教えを大事に生きればいいのだとあれは「自灯明法灯明」という有名な遺言。 実際の言葉では「島として生きよ」という「島」と言う場合もありますし「灯明」と言う場合もあって両方あるんです。 それが 今 おっしゃったとおり自灯明法灯明と言うんですから「自灯明ブッダ灯明」とは言わないです。 そして もう一つは「自」自灯明ですから自というのもあります。