100分de名著 ブッダ 最期のことば 第2回「死んでも教えは残る」

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この番組のまとめ

そこで ブッダは自分がいなくても自己鍛錬を続けていく方法を授けたのです。 第2回は自分自身との向き合い方を「100分de名著」 司会の…さあ 今月は ブッダの最期の言葉が書かれている「涅槃経」を見てまいりましたけれども1回目 どうでしたか?そうですね…。 ブッダがいなくても 涅槃への道がちゃんと保証されているか自分で判断できる基準「法鏡」を教えたのです。 その 涅槃に行く方法のインストラクターとしての ブッダから何を基準に修行していったらよいかというその問いに対する答えなんですね。

ヴェーサーリーを訪れた ブッダはアンバパーリーという遊女の林に滞在します。 遊女でも悩みを抱え熱心な信者だった アンバパーリーはブッダたちを食事に招待します。 しかし そこに リッチャヴィ族の裕福な者たちがやって来ました。 だから ブッダとしては 当たり前の事なんでしょうけれどもリッチャヴィ族の人からするとものすごく腹が立つから「女に出し抜かれた」なんていう捨てぜりふを言うわけですよね。 アンバパーリーの林で心行くまでとどまったあとブッダは ベールヴァ村へ向かいます。

それが 今 おっしゃったとおり自灯明法灯明と言うんですから「自灯明ブッダ灯明」とは言わないです。 そして もう一つは「自」自灯明ですから自というのもあります。 この自灯明法灯明を実践するためにはこういう事が必要なんだそうです。 それが一つの絶対的な要素として世の中に存在してるという考え方 これも間違い。 そして この世の全ての存在要素のどこを探しても「これが私です」という本体はないという事を認識せよという事です。