先人たちの底力 知恵泉 トップを目指す組織とは「徳川四天王」(後編)

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この番組のまとめ

その頂点に立った徳川家康には天下取りを支えた4人の重臣がいました。 その名も 「徳川四天王」。 前回に引き続き徳川四天王の知恵をご堪能頂きましょう。 家康が生き残りを懸け信長と同盟を結んだ時信長から嫡男の信康に謀反の疑いを かけられます。 その時 本多忠勝は絶望に打ちひしがれた家康を立ち直らせ「伊賀越え」という大移動を決行。 こうして 家康と四天王は信長死後の新たな時代に直面。 井伊直政公の像がある彦根駅前に来ました。 井伊直政が 武田の旧臣たちをどのように取り込んだのか。

これはね…信長… 要するに武田滅ぼしたあとねやはり 家康及びその家臣団たちはむしろ…武田家臣たちにしてみても自分たちの誇りがね あるんでそこでまた活躍できるっていうね武士として生きていけるというそういう両方の思惑が一致してます。 弓 鉄砲 槍を集めてそれから16歳から60歳までの男子を集めてしかし 家康ら1万7,000に対し秀吉軍は なんと10万。 そこに1つだけ 信長時代からの城小牧山城がありました。

東軍 家康西軍 三成が関ヶ原に集結。 徳川家最大の決戦 その組織力が試される時でした。 徳川の…まずは 井伊直政率いる「赤備え」が東軍の先陣を切り敵に突撃します。 ここで 切れ者榊原康政が動きます。 榊原自身もまた秀忠と行動を共にし榊原は責任回避をしませんでした。 それは 「急いで来るように」という家康の伝令が「家康様が このまま秀忠公を拒否し続ければ家臣たちは 秀忠公を侮りひいては 徳川家の将来が危うくなります。 榊原の懇願によってついに家康は 秀忠を許しました。