日本で最初に南極に行こうという日章旗を持つのは白瀬 矗。 欽ちゃんがコメディアンを夢みたのは家が貧しかった高校時代でした。 白瀬は 幕末の文久元年この町の寺の跡取りとして生まれました。 近所の蘭学者の寺子屋で白瀬は 将来を決定づける事実と出会います。 児玉は 北極の前にそれに近い環境を探検し体を鍛えるよう白瀬に助言します。 海軍の軍人だった郡司成忠が千島の警備と開発を計画している事を知り白瀬は 郡司ら7人と最北端のシュムシュ島に上陸しました。
当時 秋田っていうのはそういう情報が入ってくる場所だったんですか?北前船って皆さんご存じと思いますけども…一方でロシアからね北海道の松前経由でいろんな情報が入ってたんですよ。 イギリスの スコット大佐が満を持して南極点到達に乗り出すというのです。 白瀬は 南極探検にかかる費用10万円を国に請願します。 そして状況打開の望みを託したのが出版社の社長 村上濁浪でした。 新聞社に頼み人類初の南極点到達を目指し国威発揚を志す人物がいる事を大々的に記事にしてもらいました。
急ごしらえで補助蒸気機関を取り付け流氷対策の鉄板補強を施し出航に向けた準備を急ぎます。 イギリスのスコットが南極に向かった船の…ちょっと こちら 模型ではなくてサイズを比較して頂きたいんですが大体… 比べるとこれぐらいに なりますから。 そうか~!やっぱり当時のイギリスはね当時 世界一の覇権国家で今のアメリカの10倍ぐらいの力 持ってたんです。 時期的にね 日露戦争で日本は勝ったけれどもものすごく国力を消耗してるんですね。 ロバート・ケネディが大学に来て講演したんですよ。
シドニーに着いた白瀬は 渡航が延びた事による費用の追加を後援会長の大隈重信に求めました。 南半球の春が来て 白瀬たちは再び 南極に向かいます。 留守部隊によるとアムンゼンは とうに南極点に向けて出発はしたがまだ戻ってきていないとの事。 調査部隊を残して南極点を目指しました。 白瀬一行は 全員無事に帰国。 白瀬は 渡航で発生した膨大な借金返済にこうした地道な活動が南極への夢をつなげていく事になります。 近代化 間もない明治に南極を探検した白瀬の存在が会議の形勢を逆転させたといいます。