100分de名著 荘子 第3回「自在の境地 “遊”」

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この番組のまとめ

玄侑さん 今回は「遊」遊ぶという事なんですがこれ いわゆる 遊ぶ事でよろしいんでございましょうか?遊ぶという字は白川 静先生によれば「神と人が一体になった境地」と言われるんですけども要するに 人間的な思惑とか分別を超えた世界に行く事ですね。 その 「私」が無くなるというのが無意識になるという事ですけども現実的には やっぱり反復練習しかないですよね。 それは 「アドリブをしろ」って意味じゃなくて何だか分かんないけど教わった一字一句間違えないようにしようっていうまだ プレッシャーの段階はとても つまらないと。

やっぱり…でも私たち この無意識のところに到達するというのは…。 意外に うちのおふくろの作る雑な料理とかは一定の味に できたりとかましてや ほら 湿度や体調が違うのに 一定に感じられる味の境地というのは 恐らくその「遊」の世界に行ってないと…。 だから無意識の方が敏感ですから今日は こうしてやろう ああしてやろうと考えてるよりも無意識で やってる時に例えば 今日は何となく湿気が多いので塩味変えるとかそういう事は 無意識にやっちゃう事なんじゃないでしょうかね。

東日本大震災が起こって間もない頃におよそ いくらいくらの損害だという数字が出た時にはほんとに びっくりしましたね。 なるんだけど その時に「こんなもん 価値があったら趣味じゃないよ 投資だよ」という。 だから それを持つ事が伊集院さんの生きる事にとってどうなのかっていう観点で 多分「荘子」は見るわけですよね。 おっしゃってた震災で失ったものに関して不動産の価値としては いくらですという事じゃないじゃないですか。