それから 「こういう形にこういう模様をつけよう」初めは こういう…こういうふうな模様のつけ方をすれば調和がとれるだとかあるいは平衡感が得られるとかそういうふうな事があるわけですけどそれを無理やりに変えてしまったところでやはり こう一つのろくろから生じるああいう シンメトリーな神経から外れる事は できないわけですわ。 陶芸家の八木一夫を作家の司馬遼太郎さんにお話しして頂きます。
小学校卒業と同時に京都市立美術工芸学校に入学。 八木さんにはそんな事なくてですね八木さんは やっぱりそれは 形態…ここで漢字なしで 音だけでしゃべるのは 変な言葉ですけど彼の造語ですが形態いうのは フォルムですな。
一体 どういうところからこういう形を思いつくんだろうという気がするんですけれどもどんなところから八木一夫は こういう形を…。 ただ自分の中にある…彼の好きな言葉で彼の造語ですが 「センティメント」。 そうじゃなくて 八木一夫が好きで使ってる「センティメント」という言葉のちょっと私勝手に補足しますとですね非常に優れた詩人でもあるんです。 で これをね…八木一夫のは作った瞬間で終わるんだからそれを僕が 愛でてですねなぜてなめるように その味を発見する事を彼は好まないだろうと。
八木一夫… 僕は他の人が言うならそんな事 思わないんですけど八木一夫が言うならそうだろうと。 茶道のテイストも否定する。 茶道の伝統も否定する。 何かに もたれかかる造形も否定する。 何かの奴隷になってる造形も否定する。 しまいに自分も否定しますわね。 だから 八木一夫はそんな事ばかり…つまり傷だらけになってるわけですね。 そして自分が その中へ吸い込まれる事によって味が分かったという世界を 全く黒陶の場合は拒否してくれます。 ほんでね 「八木さんあの黒陶っていうのは自分自身というものをつくり上げる。
つまり自分が持って生まれてですねどうしようもなく逃れようのないもので自分の八木さんの好きな言葉で言えば「センティメント」を造形化したいと。 ところが 八木一夫が尋ねに行く。 つまり こいつはもうどうしようもない 清水坂のつまり五条坂の反逆児だと思ってながらやはり 五条坂の子なんですね。 で 全部 五条坂の伝統を。 五条坂の伝統いうと やっぱり焼き物の伝統としちゃあねそれは ある年限まである年限から以後ですけどもやりにくくない。