先人たちの底力 知恵泉 逆境から飛躍するには「長澤鼎」(前編)

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この番組のまとめ

実は この カリフォルニア・ワイン今 世界中で人気ですけれども実は その陰に 一人の日本人しかも薩摩のいち侍が ふか~く関わっていた事 知ってました?全く知らなかったです。 知らないでしょう?今夜はですね 19世紀のアメリカでワインビジネスに 大成功を収めました一人の日本人の知恵を見ていきたいと思います。 ワインの一大産地…19世紀後半アメリカへと渡った 薩摩の侍です。 幕末の混乱期激動の中心にあった薩摩から西洋の最新技術を学ぶため長澤は 僅か13歳で海外へと飛び出しました。

こうして 1865年長澤は 18人の仲間と共にイギリスの船に ひそかに乗り込み日本を離れます。 到着直後から 留学生たちは英語を猛勉強しながら機械工場を見学するなど技術についても学び始めます。 そんな時 長澤たちが出会ったのがアメリカの…自分の下で働けば 勉強の時間は保証すると申し出ます。

イギリスに留学したんですけれどもブワーッと書かれた中に… 「プリズン」。 「プリズン」 「監獄」って意味ですよね。 プリズン。 ここも プリズン。 15回 プリズンっていう事を書き連ねてるんですよ。 「ここは プリズンだ」と思ってたんですか じゃあ。 プリズンから そこまで やっぱり随分 精神的な葛藤の果てに腹を据えたっていうか。 しかし この時 カリフォルニアではブドウが危機に さらされつつありました。 長澤は フィロキセラに強いブドウの品種を探し出します。

1875年にね 彼がニューヨーク州から カリフォルニアへ移るわけですよね。 それはカリフォルニアという その土地が実は ワインに ものすごい向いてるという事が分かって。 カリフォルニアが ワインのパラダイスとして発展しつつあったからなんですよ。 先ほど 醸造所のね巨大な醸造所を建てたという話がありましたけれどもこの時には カリフォルニアでニュースになるくらいですよ最新鋭の大きな設備を造りましてね。 カリフォルニアでしょ だって もう。

長澤自身も実は 極めてオープンな性格でそこら辺は 長澤が単に自分一人の農場の事だけじゃなくてカリフォルニア全体のね 何かレベルアップとかそういう事を 常に考えていた。 長澤や 一部の農園での労働者たちの待遇は非常に例外的なものでした。 更に 長澤の農園を取材した雑誌記事には長澤が 労働者たちと接する様子が描かれています。 長澤は イタリア人労働者たちと食事を共にしイタリア語で 彼らに話しかけるなど移民たちと一緒に ワインという新たなビジネスを成功させたのです。