♪~「SWITCHインタビュー 達人達」。 メダル請負人の異名をとる名伯楽だ。 北京オリンピック以降は中国で代表コーチを務め実績のないチームに初のメダルをもたらした。 去年 10年ぶりに日本代表コーチに復帰。 「バババ バ~ン」って出るオーケストラもあれば「バババ バ~ン」と出るオーケストラもあれば「バンバンバン バ~ン」って出るオーケストラもある。 そうですか?少なくとも 僕の教えてる学生よりは 全然真剣です。
シンクロが 初めてオリンピックの正式種目になった84年のロサンゼルス大会。 92年のバルセロナオリンピックでは小学生の時から指導してきた奥野史子がシドニー大会のテーマは「空手」。 アテネでは 立花美哉 武田美保ペアが2大会連続となる銀メダルを獲得。 そして 2008年の北京オリンピックから中国チームの代表コーチに就任。 彼女たちは絶対に…もう 北京のトレーニングセンター来て「中国代表」言われた時にはもう しっかり…。 そして 迎えた 北京オリンピック。
でも やっぱり その子が人間っていうのは練習したからじゃなくて…そしてどんな いい演技をするか…チームは 中国シンクロ史上 初めてとなる悲願の銅メダルを獲得した。 その また 成果がシンクロ日本の再建に取り組む事になった。 シンクロのコーチですよ。 それ おかしい」って…だから 今から考えたら私は 毎日毎日大発見の日々やったけどきっと あの子たちも私みたいな大人に出会った事なくて大発見やったと思います。
ハハハ…!井村のコーチ就任から 5か月後カナダで行われた ワールドカップ。 それで 私 何をしたかというと…そして それを 肩に背負って…だから 私は あの子たちと5か月 練習して1か月 試合に行って褒めてやる事全然 ないんですけど一個だけ褒めてやるとするならば…この意地悪な人と思ってね考えてみたら一つの 私 勝負に出たなと思ったんですよ。 また 2年目を迎える2シーズン目を迎えるっていう事はレベルアップしたもう一つ バージョンアップした事に挑戦できるいう事やから。 今度は井村が指揮者の仕事場を訪ねた。
本番のオリンピックを見守られる井村先生の仕事と似ていて…井村先生選手を送り出す時 大試合で「行っといで!」まで行くでしょ。 各パートの出す音がよくなると…実に丁寧に オーケストラとコミュニケーションをとっていく。 何にもできない所でやっちゃったもんだから練習5日間やってたんですけどイタリア人って 明るい気質ですごい いい人たちなんだけど集中しないとなったら5時間やってもたか括ってたら本番ぐちゃぐちゃになっちゃって。
国際指揮者コンクールに出場した広上は審査員の満場一致で優勝を果たす。 そういう状況の時に一回 最初に呼ばれた初めて行くオーケストラ外国でも日本でも ドキドキする。 そこが舗装されてるので指揮科の学生に 50人余りのオーケストラを指揮させていた。 実は 指揮科といえども学生時代に本物のオーケストラを指揮する機会はほとんどない。 広上も 大学4年間で僅か4時間しか指揮した事がないという。 指揮者になる必要はないの。 指揮台の上では指揮者の弱さも 迷いも団員から丸見えになってしまうという。