ETV特集「洒落(しゃれ)が生命(いのち)~桂米朝“上方落語”復活の軌跡〜」

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この番組のまとめ

戦後 滅びかけた上方落語を復活させた立て役者です。 上方落語をそれまで以上に発展させました。 上方落語のエッセンスが凝縮されております。 粋で洒落た芸なら何でも取り入れる僭越ながら桂 米朝の孫弟子 桂 吉弥がご案内を相務めます。 私 米朝師匠のお宅で 3年間内弟子をさして頂きました。 米朝師匠といいますと何というても 「上方落語の復活」。 米朝なくして今日の「上方落語」は ない。 米朝師匠のおかげでしゃべれまんねん。

遺品の中から米朝さんが いかにして上方落語を復活したのか を物語る資料が見つかりました。 そこまで いかなければ米朝師匠自身としても上方落語の復活を目指す米朝さんのもとに同志たちが はせ参じました。 後に上方芸能を代表する重鎮となる面々も集う中で米朝さんは「天狗さし」を披露したんです。 米朝さんはマクラで「念仏さし」に触れサゲへの伏線を張ってはります。 すんで 終わって下りてくると「どうでした?」って言うたら上方落語の復活劇。 この落語三昧師匠は 小学校の頃から本邦初公開! 小学生の米朝さん。

「いや 『うるさいな』って これが米朝師匠直伝の たたき稽古。 上方落語の必須科目ですがな」。 「『上方落語 上方落語』言うけど江戸落語と何が違うねん?」。 上方落語は神社とかお寺の境内のむしろがけの小屋で始まりました」。 ま そういうのが今の上方落語の基礎になったんでござい」。 東京の落語の公演をプロデュースしていた…矢野さんは 大阪に出向き米朝さんに独演会の企画を持ちかけました。 米朝さんは 東京公演を決意。

聴衆の心をつかんだ「地獄八景亡者戯」。 「地獄八景」の魅力は 日本人が抱いてきた地獄への恐怖をしかも 落語の芸の世界でそれを やったというところはちょっと他に 比較する落語家はいないのではないのかという。 目の前で 国宝がやってくれるわけですからうちの父親も もう亡くなりましたんですけど亡くなる前に「『地獄八景』っていう噺があんねんで」言うてにやにや笑ってくれまして。

いっぺん 僕ね 米朝師匠が ずっと舞台で「鹿政談」という落語「鹿政談」という 結構 大ネタをず~っと1週間ぐらいやらはった時があって。 次の日 米朝一門会で袖で ず~っと聞いて何べんも 何べんも覚えてほんで1週間ぐらいして米朝師匠に「お稽古 お願いします」「何をや」「『鹿政談』を」。 米朝師匠のお葬式 出棺の時に大好きやったステーキを 師匠の胸の上へ置かして頂きましてねこれは まあ あちらへ行かはった最初のお食事を「行ってんねんけどなちょっと心残りがあってな」。