先人たちの底力 知恵泉 進むべき“道”を守れ!「長澤鼎」(後編)

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この番組のまとめ

ワインの一大産地 アメリカ・カリフォルニア州。 アメリカで ワイン造りを学びヨーロッパとアメリカ 2種類のブドウから味も良く 害虫にも強いブドウを作り出しました。 カリフォルニア・ワイン存亡の危機。 ちょうど そのころ アメリカでカリフォルニア・ワインのブームが起きました。 ジンファンデルという品種のブドウで造ったワインは「マウンテン・ジンファンデル」と表記。

カリフォルニアだけで832あるワイン業者の質を落とさないと 何があっても。 カリフォルニアに移った年というのが1875年ですよね。 つまり まだ東海岸の方にいて良質のブドウには恵まれなかったけれどもそこで ワイナリーを始めて初めてワインが出来上がってきた年が1873年。 カリフォルニアに移る2年前ですよね。 これ カリフォルニアに移ってからですけれども。 もちろん 長澤っていうのは大変なビジネス感覚の持ち主でもあるんだけれども目先の利益を追うような利に走るタイプとはおよそ違うんですね。

20世紀初め 長澤はカリフォルニアのセレブになっていました。 発明王 エジソンやカリフォルニアの州知事など有名人や名士が数多く訪れたといいます。 最初に輸出したのが長澤という事から見てもですねワイン文化に やっぱり 一方ならぬ思いがあったと思いますしそれを 次の世代に何とか つないでいこうという彼なりの思いがあったと思います。 カリフォルニア・ワイン研究家のサリヴァンさんはもう一つの長澤の知恵を見せてくれました。

1890年からの10年間でカリフォルニアの日本人はしかし 日本に一時帰国した長澤は新聞で一つの計画を発表します。 日本人移民25万人を受け入れる巨大農場を建設しようとしたのです。 現在 農場があったサンタローザ市には長澤の記念公園が造られ日本人からするとですね彼は アメリカの成功者長澤の信念っていうのはそういう事じゃなくて彼が信じたアメリカっていうのは自由平等のそういう理想の国でしたから。

ちょうど あのくらいからですねやっぱり 長澤がカリフォルニアの大恩人だと これは。 禁酒法の時代にも日本人 長澤がですねカリフォルニアのワインの伝統をですね必死に守ろうと。 気になる発言が 1つあって日本人には 長期的な展望でビジネスを考える事がないと言ってましたけれども 南さんはその点 どう考えますか?これはもう 長澤からのメッセージだと思うんですよね。