先人たちの底力 知恵泉「二代目はつらいよ 偉大な先代を持ったら 徳川秀忠」

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この番組のまとめ

そんな 今日はですね偉大な先代に悩みを持つですね仲間をですね 店に今日 お呼びしているんですよ。 和洋菓子店の社長さん山本昌仁さんです。 うれしい!山本さんも 偉大な先代をお持ちだそうですね。 偉大な先代を持つ 我々そして 皆さんがですねどう行動すべきかどうあるべきかという知恵を今日は たっぷりと味わっていきたいと思います。 取り上げる歴史上の人物もこれもまたですねそれはそれは偉大すぎる先代を持って生涯 苦労しました この人物です。

「林家三平」という名前を一つの城と考えると秀忠は 天正7年…家康は 早くから この秀忠を後継ぎと考えていたようです。 そんな秀忠が 家康の期待を裏切ったのは 20歳の時。 実は家康 この戦いで秀忠に後継者として名をあげてほしいと考えていました。 ただ家康はもう秀忠を一応 跡取りには決めていて何とか抜かなあかんみたいな何か変なプレッシャーを持ちながらず~っと20代を過ごしてきたっちゅうのがね。

一方 実践して疑問を感じていた政策はこれは 家康が 絶対的なカリスマだったからこそ可能でした。 先生 秀忠が 家康の方針をそのまま受け入れたその解釈っていうのはどのように捉えていますか?秀忠にとってやっぱり 家康っていうのはあまりに偉大な父親であり将軍であったのでそれを きちんと守っていく事が大切だというふうに考えたんでしょうね。 まずは その先代の方法を実践せよという秀忠の知恵をどのように ご覧になりましたか?やっぱりカリスマでやってる以上はその父親という やってる姿はほんとに すばらしいと。

例えば 日本一の勇将と秀吉から称賛された…百戦錬磨の つわものたちです。 彼らは 毎日 秀忠に呼ばれその経験談や人生訓を語っていたのです。 秀忠が 御咄衆を置いたのはある危機感があったからです。 他にも秀忠は 城を訪れた老大名たちを つかまえ積極的に話を聞きました。 多くの先人たちの底力を借りる事で偉大な父以上の知恵を自分のものにしていったのです。 将軍と家臣ですから江戸城で公式に対面する時には何も言えないわけですね平伏して。 ただ 御咄衆は 将軍の私室私の部屋の方に やって来て自由に話するんですよね。

日光東照宮は家康を神として祀った場所その後 秀忠の息子三代将軍 家光が家康の威光をこれでもかと伝えていますなぜ 家康公はこの日光東照宮に 神として祀られる事になったんですか?家康公の遺言に「関八州の鎮守になろう」という…。 「いや私は先代に従ってきただけ…」秀忠をはじめ 6人の将軍その正室や側室 子供たちが眠りますこちらが徳川二代将軍 秀忠公の霊廟のやはり 初代将軍 家康公は神としてご自身は 武家としての格といいますかね神ではなく人として祀られたい。