ETV特集・選「薬禍の歳月~サリドマイド事件50年〜」

戻る
【スポンサーリンク】
15:38:40▶

この番組のまとめ

去年 国は 和解以来 初めて健康問題について 大規模な実態調査の結果を公表しました。 サリドマイドの事件の当事者として生まれてきた私たちだからこそ幸せとは何か 自分たちはどうだったのかという事を山ちゃんと…。 その翌年 日本の製薬会社もサリドマイド剤の製造販売に乗り出します。 ドイツでは 薬の影響を疑った科学者の報告によって販売停止回収が決まりました。 結局 全面的な販売中止が決まったのは ドイツの10か月後。

北海道に戻った 増山ゆかりさんも被害者として認められ賠償金を受け取りました。 父が いらいらする姿を見ていて父を恨むどころか 自分が招いた事なんじゃないかという気持ちは 常にありました。 両親の離婚も 家族の離散もそれから 父の事業の失敗も。 誰も いなくなったその家を見た時にね「ああ これが その現状今の私の家族の ありようなんだ」とやっぱり 何か こう自分の人生に期待するものが何一つ なくなった。 雅一さんの提案で結婚の報告をするため行方知れずの両親を捜そうと考えたのです。

彼らは サリドマイドの当事者団体を通じて 結び付いています。 佐藤さんは サリドマイドの影響で親指の一部を欠損した状態で生まれました。 まず そういう リンパの位置が違っていたとか被害者の健康状態や生活状況を調査した結果を公表しました。 山口市の被害者 中野寿子さんは20代の頃から 広告のイラストなど絵を描く事で仕事を得てきました。 世界では 今 サリドマイド被害の見直しが進められています。 サリドマイドによって両腕と両足の欠損聴覚障害を負った体で生まれました。

自分たちの現状を理解してもらおうと被害者は行動に出ました。 50代になって 新たな障害に直面している姿をおよそ900人の被害者が調査に協力しました。 社会 特に政治家たちに伝えるためです。 それは 日本の被害者が訴えていた症状と重なるものでした。 ドイツ社会は被害者の訴えを受け止め制度の変更を実現させました。 二次障害による被害者の苦しみは続いています。 高校卒業以来 一度も訪ねていないふるさとへの訪問です。 サリドマイド児なんて奇形児つくっておいて平気な顔している日本なんて最低の最低。

それだけ 薬に恐怖心があったにもかかわらず薬学部 薦めてくれたのはお母さんじゃん。 正直な事 言うと 小学校の頃顔が あがってるよね」みたいな事言われた事があったんだよね。 こうやって私も 母と面と向かって サリドマイドの事なんか話した事はないままにもう 母は死んでしまった。 それは本来持たなくてもいいようなお互いの遠慮だったかもしれないし。