先人たちの底力 知恵泉 負けない戦い方とは?「上杉謙信」

戻る
【スポンサーリンク】
22:07:43▶

この番組のまとめ

越後の謙信の周囲には甲斐の武田信玄相模の北条氏政。 そんな謙信をライバルの武田信玄でさえこう評しています。 謙信の知恵を探るのはゲーム制作会社の創業者本憲三さん。 自らのゲームにも登場させている上杉謙信の強さをほとんど 世界バージョンで。 今日は 謙信の負けない知恵を見ていきたいと思いますけど実際戦に強かったんでしょうか?武田信玄が 戦争については日本一だっていうふうに言ってるわけですから それは相当強かったとは思いますけど。

長尾家の拠点の一つ栃尾城が突如 越後中部の武将長尾平六に攻められます。 天文22年 武田信玄が北信濃に侵攻します。 謙信は これに対抗して出陣川中島で激突します。 その中でも 特に激しかったのが…妻女山に陣取る上杉軍8千に対して武田軍は 2万。 上杉軍が 慌てて山から撤退したところをすぐさま陣を捨て奇襲を かわした謙信。 今日はですね謙信が 戦のさなかに食べていたんじゃないかという献立を用意いたしました。 「永禄九年 臼井城攻め」とあります。

そうすると 関東で謙信に服属していた国衆が数か月の間に みんな北条方へ寝返っちゃうんですね。 それは 謙信の得意とする相手の虚をついて電光石火に勝負をつけるという戦法にあります。 謙信自らが陣頭指揮に立っているので兵士たちは 迷いなく行動できたというのです。 関東管領からの要請に基づき治安を取り戻す事は謙信にとって名誉ある大仕事でした。 永禄3年 謙信は軍勢を率いて関東に向かいます。 関東の武将たちが 続々と謙信の下に集まってきました。

武田家は 信玄の息子 勝頼が跡を継ぎますが織田信長との 長篠の戦いで大敗を喫し上杉家の歴史はそう教えてくれるのです。 あとは やはり武田信玄がすぐそこまで援軍に来てるのとあと駿河の今川も同盟関係だったんですがそれも 駿府を出立したという状況だったのでそこで やっぱり城を囲んでる中で武田 今川軍に背後を突かれたら多分 数日したら武田軍1万動員されていたのでそこからガッと来る直前でしたので。