優れた行政手腕を発揮した…名軍師…「賤ヶ岳の七本槍」として数々の武功をあげた…キリスト教を信奉する大名である一方秀吉の部下としてさまざまな難問を解決してきた類いまれな才能。 今回 行長の知恵を読み解くのは…ある世界的な組織から「最も影響力のある交渉官10人」に選ばれた交渉の達人です。 さあ その行長はですね 円滑に物事を進めるための交渉力をいかにして身につけていったのか?まずは そこからですね。 今から460年ほど前行長は現在の大阪南部 商業都市堺の有力者の家に生まれます。
福岡女学院大学の教授で小西行長について深く研究されているんですよ。 でも どうして小西行長の研究をされてらっしゃるんですか?それなんですよ。 …ぐらいに 小野寺 昭さんが小西行長をやりましてその時に ファンになったんです。 その国際交渉人っていって国際的な事になるともっと こう何かシステマチックなものなのかと思ったら結局は 人と人なんですね。 秀吉の配下で ぬきんでた交渉力を発揮していく行長ですけれどもその武器の一つがですね実は キリスト教とのつながりだったんです。
行長は宣教師との信頼関係をもとに秀吉側の貿易窓口として地位を確立。 行長は 秀吉の命に従い自分の領地にいる宣教師に対し退去するよう交渉に乗り出します。 「私に退去を求めるなら私は 京都や大坂に行き宣教師側の記録ではこれを聞いた行長は泣きながら一人で部屋に閉じ籠もるほど追い詰められたといいます。 その一方で宣教師との絆を生かして海外貿易を盛んに進めその利益を秀吉政権に還元していきます。
そういった やはり問題というのが現実的に たくさん起きてきて…やがて行長は 秀吉から明との本格的な和平交渉を進めるよう命じられます。 そのため 秀吉への面会時には領土問題が議題にあがる事はなく…一方 全てが自分の思いどおりになったと思い込み上機嫌の秀吉は接待役の僧侶を通じて明の使者に こう伝言します。 領土問題が交渉の核心と理解しながらも手をつけずやり過ごそうとした行長。 その真意が 使者に十分 理解されなかったため和平交渉は決裂。