なぜか 冬で 暖かく こう…親戚同士が集まってワイワイ 騒いでて そして ふっと手洗いか何かに立って寒い廊下に立った時に その廊下の向こうに 戦争が立っていた。 あの~ 普通 言葉にならない事を俳句って やる訳ですけどこうやって 言葉に表された途端に本当に そういう気持ちが分かるように伝えられる。 今回のテーマが 「夏か秋か」というテーマなんですけれどもね普通の感覚では 学校なんかが「夏休み」っていう名前で…「夏休み」っていう名前で1か月 ありますよね。
これは 種を見てるというと…そうすると 季語は種まきの方に近づくんでしょうかしら?どっちでもいいんじゃないんですか?あの~ 5月頃に 種まく事と朝顔の種が出来るっていうのは朝顔は 花が終わって 秋になって実がなるんじゃなくて咲き継ぎながら種が出来ていきますね。 これ 切手の朝顔を詠む事へのこう… 何か ちょっとためらいみたいのもあるんですけども季語としてですか?うん… ギリギリのところですよね。 私は自分の懐かしいのを思い出して5番の「朝顔の色水屋さんの客になる」。
違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれませんけれども私は そのちょっとした違和感がむしろ 何か その情念をまた 更に際立ててくれるようなそんな感じがするんですけれどもいかがでしょうね?金田一さんどう 鑑賞なさいますか?あえて 交ぜると。 で 虚子っていう人は俳句を 非常に広いものに考えていて 捉えていてさまざまな可能性にね こう…あるいは タブーに挑戦した俳人だというふうに私は思っているんです。 だから 本当に普通の取り上げる言葉ももちろん 革新的ですけど表記の面でもとても冒険をする人だったんだなと。