ETV特集 アンコール「鶴見俊輔~戦後日本 人民の記憶〜」

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この番組のまとめ

60年安保から ベトナム戦争の時代イデオロギーや組織にとらわれず普通の市民の立場から反戦運動に取り組みました。 アメリカ哲学 日本人とは何か記号論 漫画 アナーキズムなど激動の戦後を生きる日本人として普通の人々が今 何を記憶して未来に向かうのか。 作家 黒川創さんは京都に暮らす鶴見俊輔さんを訪ね4回にわたって話を聞きました。 僕にとっては 鶴見さんはインデックスだったところはあるよね。 小説とか自分は書くとか ものを考えるとか 苦しいなと思って鶴見さんの最新著作「悼詞」です。

おれは この800人の小学生の中のただ一人の不良少年なんだから。 不良少年としての国家の体制に対してつながってるんじゃないかと思う。 不良少年から大きく変わった事を告げる大切な一枚の写真がありました。 日本にいたやつが不良少年なんだから英語から始めなきゃならないんだから。 日本が アメリカの敵国となり留学生や ビジネスマンなど次々と帰国を急ぎました。 日本とアメリカのどちらに忠誠を誓うかと問われ「どちらも支持しない」と答えたところアナキストと判断され拘置所に送られたのです。

アメリカでの学生仲間は これから日本に帰るんだという雰囲気がこれから変わるであろう事に対して楽観的だったんですか?それで ロレンソ・マルケスに来ると日本から入ってくる役人が乗り込んでくるし「君が代」斉唱などが頻繁に行われました。 私はすぐに区役所に行ったら日米戦争始まってるんだから 今徴兵検査受けたら まずいなとお父さんだったら思ったんじゃないですか?おやじの気分というのはどれだけ自分の息子が戦争を憎んでいるか。

丸山眞男 武谷三男 渡辺 慧それに 元からアメリカでの つきあいがあった都留重人と 武田清子を足すと5人になるでしょ。 武谷三男と渡辺 慧っていう2人の原子物理学者と私は 戦争終わった時からずっと つきあいがあった。 武谷さんは 「科学評論」という名前出したんだよ。 武谷さんは その時「科学評論」ってなぜ出したかっていうのは今 六十数年たってみると大変な着想だと思うね。 原子力の秘密を手に入れた時にもはや 科学者はヒポクラテスの時代の科学者ではない。

そうすると 医学部の学生が沖縄送りになるといううわさがあるのを覚悟してGHQは 原爆の被害について厳しい情報統制を敷いていました。 京都大学の学生たちは大学で原爆調査団に加わった医学部の教授などから資料をもらい手作りのパネルを展示しました。 アメリカ トルーマン大統領は「戦争を早期終結するために原爆の投下は必要だった」と主張していました。 これは 私の言葉に訳せば「mistaken objectivity」なんだ。

という事は 羽仁五郎は「mistaken objectivity」にとらわれてないって事なんだ。 現代史に対する態度が他の日本の歴史家と違うんだよ。 鶴見さんは「思想の科学」を母体として若い研究者と共に転向研究会を発足。 政治体制の変化や時の権力の強制を受け日本人は自らの思想をどう変えていったのか。 誤解されやすいところだけど鶴見さんの場合はマルクス主義が良くなくて日本で言われる リベラルの方がだいぶましだ という考えでは全然ないわけですよね。

脱走兵援助を含めてのこれを 何とかやれたのは私にとっては 姉の助力細君の助力そして 0歳から5歳までの息子の努力っていうのがあってそれぞれ あったと思うんだ。 脱走兵援助から 40周年を記念して集会が開かれました。 鶴見さんと小田さんの反戦運動は太平洋戦争末期の沖縄戦の始まりに…。 竹内の戦争への発言の意味を鶴見さんは今も問い続けています。 竹内さんが大東亜戦争の始めにこれを もろ手を挙げて支持するって書いたのは事実です。

マリノフスキーで言うと「phatic communion」と言って言語交際なんだ。 それは 恐らく…恐らくじゃない 確実にホワイトヘッドの最終講演なんですよ。 だけど 確かにホワイトヘッドの哲学にはそれを予告するようなところがあったんです。 「科学と近代世界」っていう日本語にも訳されてる「Science and the Modern World」という中に1章 ワーズワースについてというのが入ってるんだよ。 「Ode:Intimations ofimmortality」。