今宵は その吉田松陰の教育者としての知恵に迫ります。 幕末 黒船が来航し日本は 200年以上続いたいわゆる鎖国から開国へと かじを切りました。 しかし 塾生は…プライドが高く頑固な…理屈を並べ反抗的な…まさに 十人十色の若者たち。 いつの時代にも求められるモチベーションアップの方法論を吉田松陰に学びます。 その熱い思いを受け継いでいる徳重さんという方今日お招きしてるんですけど山口県出身 長州出身の…。 そして 嘉永6年アメリカの黒船が 日本に来航。
そこで松陰は 囚人たちに時事問題について話を始めました。 松陰流の授業に囚人たちは 引き付けられ牢番も耳を傾けるようになります。 松陰は一度 希望を失った人からでもやる気を引き出す事に成功したのです。 社長も作った方がいいんじゃないですか?徳重さんは どうでしょう?長所を伸ばして人をやる気にさせるこの松陰の知恵は。 萩での1年余りの牢獄生活のあと出獄が許された松陰。 松陰は ここに寝泊まりし塾生たちを指導しました。 松陰は 真っ向から玄瑞を否定。
松陰は 晋作が心の内側からやる気を湧き立たせるようそうですね。 お互い若さもあるんでしょうし久坂玄瑞さんもね何らかの形で 吉田松陰ってすごい人がいるぞと。 ライバル関係を作って競わせるという事がありましたけれども徳重さんご自身はどうでしょうか?その時にですね…高杉や久坂玄瑞というのは松下村塾の双璧と言われるような非常に優秀な人だった。 初代内閣総理大臣になった伊藤博文も 塾生の一人でした。
日本で最初に山科トンネルというのを日本人が掘ったんですけどねこれ オランダで勉強した飯田という村塾生です。 オランダへ留学して 鉄道のテクニック学んで 日本へ帰ってきて先生のそういう指導の流れの中で…先生は ワンパターンに押しつけてないです。 彼なんか今 本当にうちのまだ若手ですけど 20代ですけど…過激な政治思想を持ち 幕府を批判するようになった松陰は萩の松陰神社には 塾生たちに残した遺書が保管されています。 松陰先生の最後の熱意といいましょうか。