日曜美術館 特別アンコール「私とルドン 作曲家 武満徹が語る」

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この番組のまとめ

武満さん 今のルドンの作品の中の「眼」ですがこの眼は一体 何を見ている眼だと武満さんは お思いになりますか?何を見てるのかなって 自分にいつも問いただしてるんだけど多分僕は これは「記憶のまなざし」ではないかって思うんですよ。 それで最後に 何枚か最後のところにはその頃 ルドンが若い頃に「進化論」とかそういうものが非常に流行りで流行りでっていうかその駒井哲郎さんが間に立ってルドンと結局 武満さんを引き合わせて下さったという事になるわけですけれども。

石版に直接絵を描く従来の手法では 石の抵抗が大きくルドンは自由に振る舞う事ができなかった。 それから資質的に非常に内省的な人だったしそれで 生まれて間もなく親元を離れてそれから 農夫のいろんな昔話を聞くというような生に非常に敏感だった生命っていうものに対して非常に敏感だったんですよね。 僕は まあ 怠け者だったんであまり繊細な神経の持ち主ではなかったけれども学校行くのが嫌で 学校へ行く途中の神社に生えてる大きなイチョウの木の上に何時間も登ってですねそういう 木と非常に特殊な親しみ方をした事があるけれども。

ただ なんか黒は黒っていうと 全てを塗りただ あるものを消してしまうとか見えなくするんじゃなくて特に版画家が黒に感じるものは黒っていう媒体はそれは マラルメが ルドンの黒を評して「王者の紫」とかですね「緋色のように美しい黒」とか言ったりしてますけど。 それじゃ ルドンにとっても 黒というのは 石版画の黒というのは自分の表現したい世界を表現するのに 非常に魅力的な…。

黒の 白黒の世界から色彩豊かな世界にという見事な変身なんですけれどもこれは やはり ルドンの心の中に何か大きな転換みたいなものがあったんでしょうか?多分それもあったと思います。 ルドンに対して「交響楽的画家」とか「音楽家的画家」とかっていう言い方は どうですか?僕は あんまり賛成じゃないです。 特に 「交響楽的な画家」というのは特に僕は抵抗があるな。 どうしてですか?もうちょっと 僕は「交響楽的な画家」っていうとちょっと大げさすぎますね。