先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「江戸を救った男 伊奈忠次の防災術」

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この番組のまとめ

徳川家康 家臣 伊奈忠次。 知恵を読み解くのは防災アドバイザーとして活躍する…東日本大震災の被災地などこれまで250か所以上の災害現場を災害現場を分析するプロ山村さんだからこそ見えてくる伊奈忠次の防災術に迫ります。 いやいや 東さん!こんな有名な伊奈忠次をご存じないなんてそれでも下町のプリンスですか?何ですか?圧がすごいですね。 この伊奈忠次さんが 指揮を執ってやったって事なんですか?そうですね 最初の頃は。 さあ 防災の達人伊奈忠次の知恵戦国時代 真っただ中の天文19年。

その時突如 秀吉の前に出たのは 忠次。 実は 忠次100人とも言われる部下をその後 徳川家康の下で江戸に入った忠次。 秀吉は やっぱり 忠次の優れたこういう才能といいますかねこれを褒めてむしろ 忠次を呼んでですね…伊奈忠次さんという人はですね…それ すごいですよね。 でも その住民たちをそんな すんなりまとめ上げる事ができたんですかね?実は 忠次は 14歳の時主君 徳川家康に抵抗する一揆に加担していました。

「伊奈イズム」という言葉がありましたけれども伊奈忠次の知恵すごさっていうのは忠次にとって新天地となった江戸では町づくりが急ピッチで進められていました。 どういう事ですか?といいますのはこちら側の方が下流になるんですけどもこちら側の…江戸を守るため必要不可欠だった…ここを抑えれば 最小限の被害にとどめられると考えたのです。 自然にあらがわず うまく 水を受け止める 中条堤の仕組みで江戸の町を守ったのです。 なかなか 水害を減らすというのはなくすという事は難しいので…中条堤によって遊水池となった地域。

一旦は 主流じゃなくなったのかもしれないですけれども…ですから 災害対策っていうのは1つだけじゃなくていろんな考え方例えば 河川の改修だとか流域の対策だとか下水道対策とかそういったものを組み合わせてねできる事は 自分たちでもやる。 例えば 岩手県宮古市の話がありますけど 田老という地区はというのは 最初からですね堤防を造る時の思想は津波を絶対防ごうという事ではなくて…これは もちろん180人もね大変な犠牲者数です。