そういう考えは 多分今なお 多くの人にリスペクトされる漫画家 赤塚不二夫の魅力とは?彼にとって コンセプチュアル・アートとかそんな事は どうでもよくて「どこまでいったら 僕の漫画は漫画でいられるか」とか「赤塚不二夫は 赤塚不二夫でいられるか」というか その辺を自分の体と作品を 徹底的に実験材料にしながらやりきってる。 「変だから駄目だ」というふうに言うのが普通の感覚だと思うんですけど「変だから面白いじゃない」という言い方をするんですよね赤塚さんの漫画の印象とかだと。
赤塚を癒やしたのは大好きな漫画を描く時間でした。 漫画… こういう商売に入る前入ってからもそうですけど会を主宰するのは 赤塚より2つ年下の宮城の高校生 小野寺これが同人誌に寄せた赤塚の漫画です。 後のギャグ漫画家 赤塚の片鱗はうかがえません。 彼は 宮城にいた 高校の時から作品を「漫画少年」という雑誌に出してて…。 そうすると 僕ら トイレって トイレも共同なんですけど 行って出ると正面のガスの前で赤塚氏が みそ汁とかね石森氏のアシスタントをやってたんですね。
石森さんが ある時 「丸さん赤塚は ギャグを描かせた方がいけると思うよ」と言っておられた。 石森さんは それ見て 「赤塚さんの本質は ギャグにある」という事は石森さんには分かっていたらしいですよね。 穴のあいた漫画雑誌の代筆に石森が赤塚を推薦したのです。 石森のアドバイスを受け赤塚が描き上げたのが生意気な子供が主人公の「ナマちゃん」。 「ある程度石森氏が描かない漫画」と考えてギャグというところへいったんですよね 多分ね。 石森の友情から ギャグに転向した赤塚が 満を持して放った作品…。
会議のメンバーは 赤塚不二夫と ブレーン。 アイデア・スタッフというのが その当時古谷三敏さんという人と長谷邦夫さんという人がいて 先生がいてそして そこへ僕が入ったって事なんですけども。 世間話から入って グダグダくだらない話をしながら そのひと言一つの現象や ひと言とかいうのに赤塚不二夫が ポーンと飛びつきます。
そしたら先生含め アシスタントの方も大笑い。 漫画は不思議なものでねもちろん頭で考えるんですけど頭で考えた漫画ってのは面白くないんですよ。 読んでるうちに ほんとに この作者が 面白がってやってんだというのが 読者に伝わる漫画がトップなんですよ。 私と赤塚先生が 同じ側に座って編集長が 向こうで1人で座る。 フッと右を見てみたらね赤塚先生と私の間にね…やるっきゃないな という感じで。 そしたら 赤塚先生がねこちら側で 膝の上で 自分でパーンと たたいてるわけですよ。
自分たちで ベストだねというところまで行かないと編集長に相談して「『バカボン』 こっちへ引っ張ってきちゃいましょうよ」と言ったら「そんな事できるわけないだろ」と言ったんだけど僕が真面目だと編集長も思って「それ できたら 『サンデー』のためにはいいぞ」と思ったんでしょうね。 移る事自体が すごく面白い事だと考えたと思います。 あれは 面白がったんだ 先生が。 そして 「山田一郎」っていう名前にするって事も別に そのページの中では面白い事じゃないじゃないですか。 大文字焼き見ても「こんなの面白くないよ。
げた履いて歩こうが 若作りでも自転車で歩こうがこの街で 赤塚がつきあったのは文化人や作家 アーティスト。 赤塚さんの 劇の絵の中に出てくる登場人物の分身みたいな状態をじゃれあいながらクリエーティブなものを探してるんじゃないんですよね。 「Les Enfants」「恐るべき子供たち」というのがあるけど それがまだゴロゴロしてて若者ね。 そういうやつらも窓口にしながら絵の世界 漫画の世界をどのように膨らましたら遊園地再生事業団の主宰者にして早稲田大学客員教授。 世界初の実物大漫画。
だから やっぱこれも 漫画雑誌というメディアの形式から どうやって逸脱していくかという。 「今回の『バカボン』は つゆどきでみなさんが イライラしてるところをなおさら イライラさせてごらんにいれますのだ!」。 そして これですね 僕が最も感動した赤塚漫画の一つ。 省略しないという方法の太田省吾の演劇ものというのは ゆっくり見つめる事によって そこに その人がどういうふうに生きてるか という事が見えてくるという事なんです。
ギャグ漫画という形式すら否定するような問題作です。 僕らは 漫画の世界でその時期 嫉妬したりとか先生は漫画をおざなりにしてとか言った時期があるけど…。 あの人の漫画でな 遠景っていうものは 出てこねえだよ。 その理由は 赤塚不二夫さんが持っている スメルですよね。 赤塚不二夫が生まれたのは旧満州 現在の中国東北部。 赤塚が以前 実家を訪ねた映像が残っています。
人間の本能的な部分要するに やっぱり自分たちの中に醜い部分や 神様じゃない部分がいっぱい 子供たちの中にも大人の中にもあって というあの先生の人間体験。 先生は でも 人間の中に いっぱい弱い部分 醜い部分があるけど「俺は 人間が好きだ」という部分があって そういう人間をいっぱい 漫画の中に登場させたという事なんじゃないかなという意味ではそういう事が先生の中の作家に結び付く意味での戦争なんじゃないかな。 人間 赤塚不二夫を読み解く手がかりとなる重要な作品があります。