ETV特集「沈黙を破る手紙~戦後70年目のシベリア抑留〜」

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この番組のまとめ

終戦後 シベリアなどに抑留された日本人の大量の個人情報今もまだ 1万5,000人以上本人を特定できていません。 そして今回 手紙が発見された事がきっかけとなりシベリア抑留の重い記憶の扉が開き始めました。 シベリア抑留者の帰りを待つ家族のもとに 突然 届きました。 多くの抑留者が送り込まれたのがシベリアや極東です。 ソビエトは 戦争で疲弊した国力を一日も早く回復させるために抑留者の労働力を利用したのです。 抑留者の家族たちに希望を与えた700通を超える手紙。

木村さんは 抑留者たちが無事に生きている事を与えられたのはニュース番組の最後の5分間。 …で こうやって見てのう抑留者全体で2万人以上が犠牲になったと言われています。 抑留者たちは家族に自分の生存を伝える事は許されませんでした。 では なぜ 厳しく管理されていた抑留者の個人情報をラジオで流す事が許されたのか。 十分に教育した抑留者を帰国させる事で日本への影響力を強めるのがねらいだったのです。

2人の信念が 抑留者の家族たちに希望を与えました。 弟を抑留されていた…巌さんたち抑留者の中には徹底した思想教育を受けてきた人がいました。 「社会主義で日本を変革しよう」と赤旗を掲げて デモや集会を行う元抑留者も現れました。 66年ぶりに舞鶴を訪れた元抑留者がいました。 澤根さんの家族は これまで戦争や抑留の体験を聞く機会はほとんどありませんでした。 みんなに そう言われました?3年にわたる過酷な抑留生活を生き延びた松本知寿さん。