ETV特集「原爆にさわる 被爆をつなぐ~長崎 戦後70年を生きる被爆二世〜」

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この番組のまとめ

♪~被爆者の平均年齢が80歳を超える中谷口さんは 16歳の時爆心地から 1.8キロで被爆しました。 後日 谷口さんに背中を見せてもらう事になった一人被爆二世の…父親は 被爆について息子に一切語る事なく今日に至った人が少なくありません。 被爆二世の佐藤直子さんは父の池田早苗さんから被爆体験をつづった紙芝居を渡されました。 長崎の被爆二世たち。 平和公園の隣にある 被爆者団体「長崎原爆被災者協議会」。 その中に被爆二世の会があります。 この日 被爆二世の会の集まりが開かれました。

被爆二世の会の…被爆者である父から 体験を聞いた事がない二世の一人です。 なぜ被爆者にとって 家族にすら体験を話す事が難しいのか。 被爆の現実が あまりに悲惨すぎて子どもに話しても「いやぁ 私は同じ被爆者です」って言ったら もう向こうが堰を切ったようにお話しになるというのがほんとに あの…当初の頃の相談でしたね。 横山照子さんは 家族全員が被爆。 実は 横山さん自身も自分と家族の被爆体験を語れずにきました。 母のキヌヨさんは 8歳の時に被爆。

それが目の前にこの写真は被災協の会長だって谷口会長だという事を聞いた時にそれもまた ショッキングでそんな事さえ知らない私を恥じました。 原爆のパネル展と 体験記の朗読会を企画しました。 母と祖父の体験記を話したいと朗読したいと思います。 母は学校から帰ると できる限り近所のお手伝いをして僅かなお金をもらい それで祖父に御飯を食べさせていました。 神奈川県相模原市が企画した平和の集いに招かれたのです。 父の被爆体験をつづった紙芝居を使い12歳の私が一人で火葬しなければなりませんでした。

そういうタイミング タイミングがすごく合ってて。 5年に一度開かれる NPT核拡散防止条約の再検討会議が夜 入浴のあとに 付き添いのボランティアに薬を塗ってもらいます。 汗を出す汗腺もなく2日に1度 薬を塗らなければ谷口さんは この70年間原爆を背負って生きてきました。 NPT再検討会議が始まる前日。